週末に近づく度、私は一日に何度も天気予報をチェックしていた。
第九話
待ちかねていた遊園地の日がやってきた。
買ったばかりのワンピースを着ると、寝ぼけていた頭が一気に覚醒した。
自室のカーテンを開け放っていてもどこか部屋が薄暗いのは、太陽の見えない曇り空のせいだろう。
朝ご飯を食べながら見ていた天気予報では、少し遠い遊園地も同じような空模様だ。
梅雨入りは来週からと言っていたお天気お姉さんの言葉を信じて、私はワクワクしながら家を出た。
「行ってきまーす!」
数日前、越前君に誘われた時は何かの冗談かと思った。
たまたま皆と帰っただけ、偶然お昼を一緒に食べて一緒に帰った、ただそれだけの間柄なのにどうして自分なのか。
あいにく他の人は予定があって、空いている人間が私しかいなかったからかもしれない。
それでも、彼の頭の中に自分が少しでも存在しているということが、なぜだか嬉しく感じた。
彼に対する羨ましさは相変わらずあるけれど、初めて会った時よりは薄らいでいる気がする。
言葉を交わして、自分の乗り越えられない壁を話して、きっと何かが変わってきているんだ。
待ち合わせ時刻の九時前に駅に到着して一息ついた。
久しぶりの遊園地が楽しみで、昨夜はあまり寝ていないなんてことは内緒。
周りを見渡しながら、桃ちゃんが越前君は遅刻魔だと言っていたことを思い出す。
コート上とは違う彼のそんな幼い一面が意外すぎて、思わずクスッと笑みが漏れた。
もし遅刻したらジュースでもおごらせちゃおうか、それともお菓子?
そんな同じくらい子供っぽいことを考えていたら、大きなあくびをした眠そうな表情の越前君が姿を現した。
「ちーっス・・・」
「おはよ。九時ちょうどだね」
「走ったんスよ」
やっぱり遅れそうだったんだ、とからかいそうになった自分を制して笑いをかみ殺し、あくびが止まらない彼を促して駅のホームへと向かった。
どうやら電車は行ってしまったばかりのようで、次の電車が来るまであと10分ある。
曇天を見上げながら雨が降りませんようにと思っていると、柱にもたれかかった越前君が何か言いたげに口を開いた。
「あのさ・・・前から思ってたんだけど」
「なぁに?」
「俺のこと、呼び捨てでいいっスよ。越前君、なんて言われ慣れてないし」
「えっ・・・でも・・・」
私は昔から、人を呼び捨てで呼ぶことが苦手だった。
年上は以ての外、年下でも「君」や「ちゃん」をつけて相手と接していた。
なぜと言われても、それが自分の性格だからとしか言いようがないのだ。もちろんのように仲良しな女の子は例外だけれど。
躊躇い答えることが出来ずにいる私にも、彼は一向に食い下がらない。
「一応、“先輩”なんだし」
一応ね、とご丁寧に二度繰り返される。
確かに“先輩”という頼りがいのある感じではないことは、自分でもよくよく分かっていた。
反論することもできず、普段彼がなんと呼ばれているか記憶を思い起こすと桃ちゃんの声がふと浮かんだ。
「じ、じゃあ・・・・え、越前・・・?」
慣れない呼び方にドキドキする心を抑えて言ったのに、言われた本人は気に食わないらしく顔をしかめてしまった。
「なんか、部の先輩に言われてるみたい・・・リョーマでいいっスよ」
「リョ・・・!?」
後輩とはいえ異性の名前を呼び捨てだなんて、恐らく人生初めての経験だった。
とてもじゃないけれど、心臓が持ちそうにない。
「リョ、リョーマ君で、いい?」
「まぁ・・・いいけど」
「わ、私も名前でいいよ。敬語もいらないしっ」
「・・・ ・・・先輩」
「う、うん・・・」
さすがに“先輩”はつけたまんまだけれど、それでもお互いを名前で呼んだのはこれが初めてだった。
ただの名前なのに恥ずかしくて照れくさい、だけど距離がグッと近づいた気がするのは気のせいかな?
電車が滑るようにホームに到着し、車両の中へと入る。
前方の車両のためか、混雑しているわけでもなくスムーズに席へと座ることができた。
ドアが閉まり徐々に走るスピードが上がると、窓から見える風景が次々に移り変わっていく。
腰を下ろしている四人掛けのイスは、他に誰も座っていない。
ふと彼の方を見ると、大きな瞳を閉じて気持ち良さそうにウトウトしていて、そんな年相応の顔に頬が緩んだ。
私も寝ちゃおうかなと思った矢先、突然電車が大きく揺れ、その弾みで彼が肩にもたれかかってきた。
思わず身を固くしたけれど、それでも彼が起きる気配はない。
寝るに寝られなくなった状態で、結局、目的の駅までそのまま電車に揺られていた。
二十分後、乗り換えがあるため眠そうな彼を起こしてホームに降り、接続電車に乗り込んだ。
先程と違い混みあった車両には、座れる場所はまったくない。
それどころか人の波に押されながら、二人でやっと乗り込むことが出来る状態だった。
「何、この人混み・・・」
「日曜だからかな・・・すごいね」
これでもかと人が入り込みドアが閉まると、人と人との間に少し間隔ができる。
息苦しさが解放されホッとして顔をあげると、目の前に彼の顔があることに私はようやく気付いた。
あの大きな瞳に、驚いた私が映っている。
「先輩、驚きすぎ」
急なことで何も言えず、恥ずかしくなってそのまま下を向いた。
彼が私を見ている、そう実感した途端に鼓動のスピードが上がり始めてしまったのだ。
「かなり眠いんだけど」
至近距離で聞こえる声に戸惑う私にも構わず、向かい合っている彼がなんとそのまま私にもたれかかってきた。
肩に顔をうずめ、立ったまま寝るつもりなのだろうか。
「え、えちぜ・・・、リョーマ君っ」
あまりにも近くて、体温が熱くて頭がクラクラしてくる。
私の焦った声にも返事はなく、結局諦めてそのまま肩を貸すことにした。
今日も早起きをしているし、きっと毎日の部活で疲れているのかもしれない。
そう一人納得して目を横に向ければ、彼の綺麗な黒髪がすぐそばに見える。
私の胸の中は、電車の音に負けないくらい心臓がドキドキしていた。
だけど本当は、リョーマ君はちっとも眠くないなんて、その時の私は知る由もなかったのだ。
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