第八話



人気の少ない公園には、涼しい風が吹きぬけている。

錆ついた色気のないベンチに腰を下ろすと、はカフェラテを一口飲んでふぅと息を吐いた。
リョーマも同じようにファンタを飲んでいると、急に彼女の方から前触れもなく質問が飛んできた。

「ね、越前君は何人家族なの?」
「・・・俺、いれて四人と一匹」
「へ〜、犬飼ってるの?それとも猫?」
「猫っスよ」
「わっ、いいなぁ!」

途端にキラキラした瞳で見つめられ、不覚にも自分の心臓がざわつくのを感じたリョーマは思わず視線を逸らした。

「私も犬か猫飼いたいんだけど、お母さんがダメって言うんだよね」
「猫いいっスよ」
「越前君、親バカ〜」

声だけは元気そうなを横目で見ると、やはりその表情にはどこか陰りがある。
昼間のことを引きずっているのかもしれない。
そう思うと同時に、幾分スムーズな会話ができるようになってきたことにリョーマは内心驚いていた。

ふとブランコを目に移したがリョーマを誘い、ベンチから移動して二人で緩やかにブランコをこぎ出した。
懐かしい浮遊感を味わい、低い地面に足を滑らせながら交わす会話はお互いのこと。

家族のことや好きな教科、好きな食べ物・・・それは些細なこと過ぎて、誰かに聞くことも聞かれることも
リョーマにとっては今までにない経験だった。

「越前君の趣味って何?」
「全国名湯の入浴剤で風呂に入ること」
「渋いね〜」
先輩は?」

言ってから、しまったとリョーマは思った。
答えない彼女の顔からはそれまでの笑顔が薄れ、力ない笑いで首を横に振るだけだった。

聞かなければよかったと後悔しつつも、同時に今日の涙の理由がほんの少し分かったような気がする。
自分はたった一日で彼女のことをいくつも知ったのだと、リョーマは帰路につきながら実感した。



公園を出て家に着く頃には、もう月が顔を出していた。

リョーマが玄関に近づくにつれ漂う夕飯の香りに期待しながら家の扉を開けると、仁王立ちの父親が満面の笑みで出迎えていた。
萎えた気持ちを顔に出しつつも特に何も言わず、靴を脱いでそのまま部屋に行こうとするリョーマの腕を、南次郎は笑顔を崩さず掴まえた。

「まぁ待てよ、青少年。・・・おいおい、待てって。せっかくいいもんあるのによぉ〜」

腕を振りほどこうと振り向いたリョーマの目に飛び込んできたのは、鮮やかなオレンジ色の紙切れが一枚。
思わず手に取ったそれは、遊園地の無料ペアチケットだった。すぐに突き返した。

「いらない」
「っかーっ!かわいくねーな!せっかく俺が福引で当てたってのに!!」
「行く暇ないし、興味ない」
「一日くらい休みあんだろ?オンナノコでも誘って行きゃいーじゃねーか。菜々子ちゃんは用事があるからムリって言うしよぉ」

オンナノコ、そう言われて最初に頭に思い浮かんだのはだった。
どうやら顔に出てしまったのか、途端に南次郎の顔が緩み気持ち悪い笑い声を漏らす。

「んん〜?ど〜した青少年。ほれほれ♪」

目の前でひらひらと揺れ動くチケットを、リョーマは何も言わずむしり取った。
階段を駆け上がるとからかうような笑い声が聞こえ腹が立ち、乱暴に自室の扉を閉めてベッドの上に腰をおろした。

握った手をそっと開くと、少しシワのついてしまったチケットがある。
有効期限は今日から二週間と短く、週末は部活もあるため予定を立てるには厳しかった。

諦めかけた時、の笑顔が浮かんだ。あの、力のない笑顔。

チケットに印刷されているカラー写真は、ジェットコースターに乗って輝くような笑顔を浮かべている人たち。
こんなアゴがはずれそうなくらい笑うとは思わないけれど、彼女の笑顔が見てみたかった。
作り笑顔でもなんでもない、とびきりの笑顔。

カレンダーを見てリョーマは少し考えた。
平日はもちろん行けるはずがない。行くなら週末土日のどちらかだろう。

(部長・・・すいません)

心の中で手塚に頭を下げたリョーマは、失くさないようにチケットを机の中にしまった。



翌日、リョーマは休み時間ごとに廊下を歩いていた。

二年八組の教室へ行って彼女を直接誘うことは造作もないことだが、周りには厄介な人達が多い。
桃城や荒井、など、余計な口出しをされるのが嫌だった。

始業ベルぎりぎりの時間帯に、偶然にも一人で階段を上るを見つけることが出来たリョーマはチャンスとばかりに後を追い、
踊り場まで上りきった彼女に声をかけた。
栗色の髪が揺れ振り向くと同時に、微かにシャンプーの香りがする。

「あ、越前君。おはよう」
「あの・・・」
「うん?」

特に誘い文句も考えていなかったリョーマは、うまく言えずに言葉に詰まる。
何を口籠っている、別にデートでもなんでもなくただ遊びに行くだけなのだ。
そう自分に叱咤したリョーマは単刀直入に、遊園地のチケットが当たって、と話し始めた。

「・・・それで、今週の日曜空いてないっスか?」

予想通り、彼女は驚いた表情になった。
今までほとんど話をしていない後輩に誘われたのだ、当然の反応かもしれない。
それでも嫌がる素振りはなく少しの間の後、空いてるけど、と控えめな返事が聞こえた。

「私、でいいの?」
「・・・他はダメだったんで」

嘘だった。他に、誰も誘ってなどいないのだ。

「でも越前君、部活は・・・?」
「一日くらいサボっても大丈夫」

部活は休みだと嘘をついたところで、は桃城と同じクラスのためうっかり口が滑るなんてことがあるかもしれない。
リョーマは素直にサボりであることを認めた。

「いいの?怒られちゃうよ」
「バレなきゃ平気。だから桃先輩に言ったらダメっスよ?」
「もう、しょうがない一年だな〜」

後輩からの突然のお誘いに、前触れもなく起きた二人の秘密。
しょうがないと言いながらも、はどこか嬉しそうに笑った。その直後、始業のベルが校内中に響き渡る。
待ち合わせの時間と場所を手っ取り早く伝えたリョーマは、振り返らずに階段を下りて教室に向かった。

とても足取りが軽い。
一体、何が自分の心をこんなに昂ぶらせているのか、今はまだ、気付かないフリをした。


  back