時間が流れ距離が近づき、心は変化していく。
移ろう中でただ一つ変わらないものは、私とリョーマ君の関係だ。
第十話
一歩園内に入れば、そこは世界がガラリと変わった非日常の空間だ。
やってきた遊園地は日曜日と言うこともあり、親子連れやカップルで賑わっている。
ただ天気があまり良くないためか、思ったほど混雑はしておらず列もそこまで並んでいなかった。
そこかしこに点在している魅力的なアトラクション達に目移りしていると、何がいい、というようにリョーマ君が首をかしげた。
私はすぐに、一番大好きな乗り物を指差す。
「あれ乗ろう!」
「・・・いきなりジェットコースター?」
「うん♪」
お化け屋敷は苦手だけど絶叫系は大好き、そう言うと彼は反対もせず歩き始めた。
「リョーマ君はジェットコースター嫌い?」
「別に平気」
「そっか、よかったぁ」
遊園地の目玉であるその乗り物は、少し混んでいて三十分待ちだった。
その間は並ぶのを交代して飲み物を買いに行き、園内パンフレットを見たり、他愛もないことを話しながら時間を潰していた。
テニス部の人達と一緒に帰ったあの時と比べると、私達は驚くほど普通に会話をしている。
質問に答えてくれることはもちろん、今日は彼自身の考えを聞けたり、逆に質問されたりとリョーマ君自身もよく喋る。
言葉を交わすということ、コミュニケーションというのは大事なんだなと私はしみじみ思った。
列が進み乗り場が近くなってくると、リョーマ君は帽子を脱いでカバンの中にしまった。
彼のトレードマークでもあるそれは、いつも部活で被っているものと同じではないけれどとてもよく似合っていた。
まだ少し眠そうな瞳は、テニスコートの上で見せる強い眼差しとは違って今は穏やかさを湛えている。
彼に対する羨望は消えていないし、自分を情けなく思う気持ちはなくならない。
でも私が涙を流したお昼休み、あの時を境にお話ができるようになったんだと私は確信していた。
こうして変わることができたのは、時間の流れと、涙の魔法のおかげかな?
ジェットコースターでいっぱい風を浴びた後は、3Dアトラクションへと向かった。
入り口で黒いプラスチックのような四角い眼鏡をもらいイスに座ると、お互い顔を見合わせて乾先輩みたいだねと笑いあった。
会場が暗くなると画面が映り、物語が始まる。
音や映像にリンクしてイスも揺れ動き、3Dの世界がよりリアルになった。
隣に座るリョーマ君も心なしか楽しそうで、なんだか嬉しくなってしまう。
終了して眼鏡をはずすと現実世界、少しおぼつかない足を動かしながら、今度はゴーカート乗り場へ行く。
これはリョーマ君のリクエストで、人気があるらしく三十分待ちだった。
自分より小さな男の子が上手に運転しているのを見ながら、私は何気なく彼に聞いてみる。
「リョーマ君、ゴーカート得意なの?」
「得意ってわけじゃないけど・・・ 先輩よりはうまいよ」
思わぬところで挑戦状を叩きつけられてしまった。さすが、スーパールーキー君は怖いものなしだ。
「・・・言うね」
「勝負する?」
相手を選ばずに出すあの挑発的な微笑み、ちょっと負けず嫌いな私に、選択権は一つだけ。
たまには先輩の威厳と言うものを見せなければと、勢いよく真っ赤な車に乗り込んだ。
時計を見ると、ちょうど11時40分。
かくして私とリョーマ君のバトルレースが始まったのである!
息苦しくなるようなガソリンの匂いを嗅ぎながら、係員さんの合図と同時にアクセルを目いっぱい踏みこんだ。
スタートダッシュは成功、そう思ったのも束の間、第一の関門であるヘアピンカーブで既に私は大苦戦していた。
意気込んだのはいいけれど、実はめったに乗らないゴーカートに振り回されてしまう。
思うように真っ直ぐ進まず、カーブがうまく曲がれず、あっという間に隣を走るリョーマ君に抜かされてしまった。
「ちょ、ちょっと待ってー!」
「待ったら勝負にならないっしょ」
「そうだけど!でも待って!」
「じゃあ降参する?」
「うっ・・・・」
挑発を受けてしまった手前、この勝負降りるわけにはいかない。
なけなしのプライドで何も言えなくなると、彼がスピードをあげた。
「じゃ、続行ってことで」
「せ、せめてゴール手前でスピードあげて!」
なんとも情けないお願いをすると、これまたなんとも言えない目で見つめられる。
ふと私達以外のエンジン音が聞こえた気がして後ろを見ると、黄色い車が近づいてきていることが分かった。
「先輩、スピードあげた方がいいんじゃない?後ろ追いつかれるよ」
「やだ、どうしようっ・・・」
「もっとちゃんと前見て」
「え?」
「運転してる間、ちらちら周りの景色見すぎ。それじゃ気が散っちゃうじゃん」
「うぅっ・・・」
ダメだしをされて凹む私に、彼はさらにアドバイスをくれる。
「あと、運転するときはもう少し先の地面を見ながらの方がいい。自転車と同じで」
「えっ、えっと、こう・・・?」
言われたとおりに実行すると、今までの運転が嘘のようにスムーズに走ることができた。
多少カーブでぶつかったりはするけれど、それでも後方の車に追いつかれずに済み、ホッと息を吐いた。
敵に、こんなに初歩的なことをアドバイスされるとは・・・。
結局リョーマ君はゴール手前でスピードを上げ、私の負け。
それでもなんだかんだ言いつつ、最後まで私の車に合わせて走っていてくれたことに気付いていた。
出口へ向かう途中に呟いた、小さなありがとうという言葉はきっと聞こえなかっただろうな。
ゴーカート乗り場を出てすぐ近くにあるベンチに腰を下ろしたリョーマ君は、お腹をさすった。
「腹減った」
「じゃあお昼にしよっか」
言われてみると、確かにお腹が物足りない。時刻はもう少しで十二時だ。
朝が早かったから、お昼の時間にちょうどいい。
小さなバッグに入れておいたパンフレットを見ながらお店を物色していると、なんともおいしそうなパスタの写真が目をひいた。
「あ、このパスタおいしそう!」
「和食とかないの?」
「和食屋さんは・・・あ、遊園地の入り口まで戻ればあるみたいだよ」
「ふーん」
戻るのは面倒、そう言ってリョーマ君は地図を見てスタスタと歩き出した。
「え、どこ行くの?そっちは・・・」
「パスタ屋。そこ結構うまそうだし」
呆けている私を振り返り、早く、と促され慌てて彼のあとを追った。
歩き出すとスカートが風に揺れる。
見上げた空はとても重そうな鉛色なのに、なんて優しい風が吹くんだろう。
たどり着いたそのお店は、赤い屋根が目をひく可愛らしい外観だった。
運よく空いていた席に通されメニューとにらめっこをし、パスタを二つ注文する。
程なくして出来上がったお目当ての食事は、味も量もとても満足できるものだった。
遊園地の飲食店も、意外と侮れない。
私よりも食べるのが早いリョーマ君は、すでに半分以上平らげている。
同時に出てきた料理なのにどうしてそんなに早いんだろうと感心していると、何を思ったのか彼は突拍子もないことを言い出した。
「ねぇ、先輩の少しちょーだい」
「えっ?」
「俺もそれ、頼んでみたかったんだよね」
思わず動きが止まった私の手を気にもせず、目の前のクリームパスタがくるくるとリョーマ君のフォークに絡まれていく。
器用に巻かれたそれが彼の口に運ばれたとき、心臓が一瞬高鳴った。
同じフォークを使っているわけではないから間接キスではないだろう、だけど一度気にしてしまうと頭が否定をしてくれない。
「ん、うまい」
「そ、そう?よかったね」
「これ食べる?」
「じゃ、じゃあいただきます・・・」
うまく言葉が見つからないまま、動揺を隠しながら私もリョーマ君のパスタを一口もらう。
濃厚なクリームソースのあとだからか、サッパリとした醤油ベースの味がひどくおいしかった。
「おいしい・・・ここにきて正解だったかも」
「遊園地に来なきゃ食べられないってのが難点だね」
その言葉に思わず吹き出しそうになり慌てて水を流し込んだ。
息をついてふと周りを見渡すと、明るいBGMがかかった店内には家族連れの他、何組ものカップルが目に入った。
他の人達から見たら、私とリョーマ君はどんな風に見られるのだろうか。
そんな考えが、なぜか一瞬頭をかすめた。
満足のいく食事を終え、足取り軽くお店を出て次のアトラクションを決めるため近くのベンチに座った。
そこは賑やかな遊園地の中心から、少し外れた小さなベンチ。
再び園内パンフレットを覗き込みながら、私はお目当ての場所を指で示した。
「ね、次これ乗りたいな」
「何これ?・・・船?」
それは屋内のアトラクションで、六人乗りの丸太舟に乗り進むものだ。
絶叫系とは正反対の、なんとものんびりした乗り物。
場所を確認すると、どうやら今来た道を戻るようだった。
「あ、ちょっと遠いね・・・」
「ま、いいんじゃない?腹ごしらえってことで。時間もあるし」
さして嫌がる素振りもなく、リョーマ君は立ち上がりスタスタと歩き出した。
慌てて背中を追いかけながらも、私は心がじんわりと暖かくなっていくのを感じる。
今日は、彼にいろいろワガママをきいてもらっている気がする。
このアトラクションが終わったら、次はリョーマ君が乗りたいのを聞いてみよう。
追いつき肩を並べて歩いたその時、鼻先で水滴が跳ね上がった。
私達二人は同時に立ち止まり、そして同じように空を見上げる。
朝よりも重い空は黒く、小雨が細い糸となり地上に吸い込まれていった。
地面は色が変わり始め、園内を流れる軽快な音楽が雨音で徐々に聞こえづらくなる。
「雨だ・・・」
梅雨入りは来週からのはず、ただの通り雨かもしれない。
肌にあたる水の勢いが徐々に強くなり、いよいよもって本格的に降り出してきてしまった。
周りにいた家族連れも、突然の雨にあたふたするばかり。
それでも小さな子供は嬉しそうに、甲高い声をあげてはしゃいでいた。
「きゃ!?」
突然視界が遮られた。
人肌の温もりがあるものが頭に被せられている、そう思った途端、右手が引っ張られリョーマ君が駆け出した。
何も言葉を交わせないまま、私達は走った。
できたばかりの小さな水溜りを踏みつけ、冷たい水に肌を貫かれながらどこかへと向かう。
走り続ける私達に降り注ぐたくさんの雨粒は、繋がれた右手の熱を奪うことが出来ずにいた。
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