その日の昼休み、俺は先輩の小さな秘密を知った。

泣くのを我慢しているところを見て、彼女は人前で涙を見せることが嫌なのかと思った俺は寝転んで視界を閉ざした。
気遣いのつもりでやったわけじゃない。だから、お礼を言われるほどのことではないのだ。

そう言うと、彼女はまた笑って泣いた。感情豊かな人、俺は決して、嫌いではない。



第七話



リョーマの在籍している一年二組の教室から担任が出て、ようやく帰る時間がやってきた。
昼休みにあったちょっとした出来事、あのあと結局サボった五時間目は運良く英語の授業だった。
帰国子女のリョーマにとって、これなら誰かにノートを見せてもらう必要もない。
どこに行っていた、具合が悪いのかと騒ぐ堀尾を適当に相手をして、カバンを持って教室を出た。

今日は珍しく部活がない。

いつもならそのまま昇降口へ向かうところだが、何かが心の奥に引っかかっていたリョーマは立ち止まって少し考えると、元来た道へと進路を変えた。
心配しているわけじゃない、ただ気になっただけだと、自分に言い聞かせながら目的の教室へと向かう。

騒がしい廊下を歩き目的地に近づくと、ちょうど教室から出てきた海堂に挨拶をして隣のクラスを覗き込んだ。
来る途中に幾度となく感じた視線やひそひそ話しは、下級生が来ることが珍しいためかもしれない。

掃除中の二年八組の教室には、数人の生徒が残っている。
机を運んでいる中にの姿が見え、さらに窓の外を暇そうに見ている桃城が目に入った。
それは明らかに、二人が終わるのを待っている様子だ。

ビンゴ、リョーマがそう思った瞬間、気付いた桃城に手招きをされ誘われるまま教室に入った。

「よー越前」
「桃先輩、今日もニケツいいっスよね?」
「あー、いいけどよ。もいるぜ」
「別にいいっスよ」

しばらくして、リョーマがいることに気付いたが照れたように笑った。
掃除が終わり残っていた生徒は続々と帰り始め、席に戻ったは慌ただしくカバンの中身を整理している。
一方、は机に座り帰り支度をせず日誌を開いた。どうやら日直のようだ。

「あれ、まだ日誌書いてなかったの?」
「うん、忘れちゃってた」

どうやら少し鈍感なところがあるらしい。いつものことなのか、特に慌てることもなくペンを滑らせている。

「時間かかるから先帰ってていいよー。は今日ピアノの習い事あるんでしょ?」
「あ〜ごめん!感謝するわ〜!」
「いいよいいよ。桃ちゃん、一緒に帰ってあげて」
「おーう。んじゃ越前、のこと頼むわ」
「うぃーっス」

それはあっという間の出来事で、きょとんとしたが顔を上げると同時に二人は教室を出て行った。
恐らく彼女は、自分以外の三人が一緒に帰ると思っていたんだろう。
ペンの動きが止まったままのに、リョーマは少し笑って肩をすくめた。

「早く書いてくださいよ、センパイ」


結局、教室を出たのはあれから十五分後のことだった。
彼女は変なところで律儀で、どうやら日誌を適当に書くことが出来ない性分らしい。

少し時間がたった放課後の昇降口には、靴を履き替える生徒達はまばらだった。
うっすら茜色に染まり始めた空を見て歩いていると、リョーマは視線を感じて左を向く。
昼休みのことを気にしているのか、照れ笑いのと目が合った。

「今日はごめんね、越前君」
「何がっスか?」
「いろいろ。・・・あ、日誌書くの待ってもらったりとか」
「・・・結構辛かったっス」

少し意地悪して言ってみれば、彼女は案の定しゅんとした顔になった。

「悪かったよ〜・・・あ、ジュースおごるよ!」
「いや、いいっスよ」
「ううん。おごらせて。・・・今日のお礼」

日誌のお礼だけじゃなくて、と付け足すと、は返事を聞かずに走り出して少し先の公園に入っていった。
そんな彼女の強引さを、嫌じゃないと思っている自分がいることがリョーマは不思議だった。

赤い自動販売機の前で、ジュースを選ぶの細い指がどのボタンを押そうかと宙を彷徨っている。

「何がいい?」
「・・・ファンタのグレープで」
「グレープね」

鈍い音とともに落ちてきた缶を取り出し手渡されると、リョーマの左手が一気に冷たくなった。

「ファンタ好きなんだね」
「・・・ども」
「いーえ。えっと、私は・・・」

自販機の前で少しにらめっこをして考えていたがボタンを押すと、カフェラテのペットボトルが取り出し口に落ちてきた。

成り行きで入ったこの公園には、犬の散歩をする人やジョギングで通りかかる人がちらほらいる。
誰もいない砂場にペンキのはげた滑り台、乗り手のいないブランコ。
いくつか散らばっているベンチはがら空きで、気付くと二人は、ベンチに向かって歩き出していた。


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