どんなに小さなことでも、お互いのことを知ると思いもよらない出来事が生まれるものだ。
第五話
大きな弁当箱の上に更にパンを三つ四つ重ね、桃城は屋上への道のりを軽快に歩いていた。
何かの歌を口ずさみながら階段を上っていると、ちょうどトイレから出てきたリョーマを見つけ、すかさず声をかける。
「おう、越前!」
「・・・桃先輩。弁当持ってどこ行くんスか?」
「屋上〜。天気いいしな。越前もくるか?」
「いや、いいっス・・・」
素っ気ない予想通りの答えに、桃城は少し頭をひねった。
どうせならこいつも誘って四人で飯を食おう、たまにはそういうのもいいんじゃないか、と。
もちろん三人での昼が嫌なわけではないが、昨日の帰り道のことを思い出すと、彼女と少しでも会話をさせてみたくなる。
思い立ったが吉日とばかりに、さっさと戻ろうとしたリョーマの背中に声をかけた。
「別に男二人で食うわけじゃないぜ。ともいるからな!」
これだけでは興味を示さないかと思われたが、意外にも相手は立ち止った。
まるでちょっとしたトラップに引っ掛けたようで、思わずニカッと笑顔が出る。
嵌められたと腹が立ちつつも、リョーマは桃城の再度の問いかけに結局振り向いて無言で頷いたのだった。
屋上の扉を開けると、そこは雲ひとつない空が広がっていてまだ五月だというのにまるで初夏のような日差しだった。
数個のパンと大きな弁当箱を広げる桃城の隣で、リョーマは購買で買った二つのパンをコンクリートの上に置く。
並べてみると、量の違いが明らかだ。
「そんだけで足りんのかよ?」
「・・・桃先輩が食い過ぎなんスよ」
「そうかぁ?」
いつも通りファンタのプルタブをあけてノドに流し込むと、冷たい液体が空っぽの胃に落ちていくのが分かる。
屋上には、まだ男二人だけだった。
自分がいると知ったら、彼女は、先輩はどう思うのだろうか。
また、なんとも言えない眼差しで見られるのだろうか。
そんなことを考えていると、思っていたのと違う人物が屋上の扉を勢いよく開けてやってきた。
「おっまた〜!」(※お待たせ、の略)
まるで菊丸が言いそうな謎の言葉とともに現れたのは、ジュースを二本持っただった。
リョーマがいることに驚いているようだ。
「あれ?越前リョーマ君じゃない」
「・・・ども」
がいないことに気付いた桃城が、すかさず声をかける。
「おい、は?」
「越前リョーマ君がなんでここにいんの〜?」
「俺が誘ったんだよ。なぁ、は?」
噛み合っていない二人の会話を黙って聞いていると、彼女は答える素振りもなく持っていたジュースを一本渡す。
「君達って何気に仲いいんだねぇ。はい桃、ジュース!」
「おう、サンキュ〜!・・・で、は?」
「ちょっと越前リョーマ君、キミそれだけでお昼足りるの?」
ひょっとしたら、黙ったまま聞いている自分に彼女は助けを求めているのか。
話の矛先を向けられたが、そんなものを受け止めるつもりはないとばかりにリョーマは素っ気なく答える。
「俺はこれで十分っスから。・・・先輩はどーしたんすか?」
「えーっと・・・・、私の、お弁当、」
「話逸らすとか、やめてくんない?」
往生際の悪いに、追い討ちをかけるようにぴしゃりと言葉を言い放つ。
ため口のリョーマを叱ることもなく、まいったと言うようには笑った。
「ん〜、まぁそりゃ突っ込まれるよね〜」
空気の悪くなった二人の間をまとめるように、桃城が割って入った。
「なんだよ、どうしたんだよ?」
「は、その・・・屋上に来る途中、ちょっと先生につかまったの」
「つかまったぁ?宿題忘れたとかでか?」
「んなわけないデショ。その・・・話があるんだって。とにかく、がまだ来ないのはそーゆー理由」
話は終わりというように、弁当の包みを広げ始めたに対してリョーマはしかめ面をする。
「納得いかないね」
「どーして?」
「ただそれだけの理由なら、最初から言うのをはぐらかさないんじゃない?」
「・・・キミ、鋭いね」
感心した顔をしているけれど、あんな風にはぐらかされたら誰だってそう思うだろう。
心配そうな桃城がに詰め寄った。
「まじでどーしたんだよ、は」
「は、その、担任の先生につかまったんだけど・・・授業に出ないのよ。美術の授業に」
それは思いもつかない答えだった。
あの大人しそうな彼女が、実は授業をサボるほど擦れているとでも言うのだろうか。
しかし詳しく話を聞くと、どうやらそういうわけではなさそうだ。
「一年生の時からね・・・私が覚えてるだけでも、出席したのは数回かな」
「おい、それって・・・成績どーなるんだ?」
「まぁ、想像通りよ」
「まじかよ・・・」
「そう。だから先生も参っちゃってね・・・」
桃城は今年のクラス替えで初めて同じクラスになったのだ、知らなくて当然かもしれない。
言われてみれば美術の時間に見てねぇかも、と小さく呟いている。
「なんで、でないんスかね?」
「さぁ・・・私でさえ知らないもん」
「でも、他の授業はでてるよなぁ?」
「うん。美術以外の授業はちゃんと出席してるよ。成績も悪くないし。ってか桃、あんた同じクラスでしょっ」
「いや、話すようになったのは最近だしよ・・・」
そんなに美術が嫌いなのか、はたまた美術の先生が好きではないのか。
何にせよ体調不良で偶然、というわけではないだろう。
だけど彼女は、人より少し繊細かもしれない。体だけでなく心も。
今目の前で話していると比べてみても、いささか頼りない気はしてしまう。
「・・・あ、この話、には言わないでね。あまり知られたくないと思うから」
二人が頷いたのを確認すると、は咳払いをして話題を変えた。
約束よ、とさっそく桃城に不二のことを問い詰め楽しそうに話し始めた二人の傍で、リョーマは会話に入らずぼんやりと
の顔を思い浮かべていた。
* * * *
階段の手すりをつたいながら、私は屋上へと近づいていった。
職員室で思ったよりも時間をくってしまい、お昼休みは残り三十分。
先程まで空腹を主張していたはずのお腹は、今はもうちっとも減っていない。
その変わりに胸の奥が痛く、苦しくなってしまった。
とうとう先生に呼び出されてしまった。
出るべき授業に出ない自分が悪いことは百も承知だ。勿論、このままではいけないとは思っている。
肩を落としている私に怒る気が失せたのか、叱られはしなかったものの先生は少し呆れ顔だった。
次はちゃんと出ます、と口にした言葉も、自分で言っておいてなんとも信じがたいものだった。
美術が嫌いなわけじゃない。ただ、筆を握ることが嫌だった。
零れ落ちそうなものをこらえ階段を駆け上り、息を切らしながら屋上へ続く重い扉を開ける。
目に飛び込んできたのは、私の心とは逆の爽やかな青い空に、太陽の光を浴びて眠ると桃ちゃん。
そして大きな瞳で私を見る越前君の姿が、そこにはあった。
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