第三話
薄く開いた部室の扉の前でたたずむ越前君の真っすぐな瞳が、私をとらえて放さない。
何かしゃべらないと、そう思いつつも焦るときに限って言葉なんて出てこなくて、一言も発しない私達に
気付いた菊丸先輩が、誰よりも早く口を開いた。
「あっ、おチビ!俺、今日はこの子達と帰るんだー!いいだろ〜♪」
「・・・は?」
「英二先輩、ずるいっスよ!」
「ずるくにゃい!だいたい桃はいっつもおチビと帰ってるじゃんかー!」
「たまには帰らない日だってあるんスよ!」
再び始まった小競り合いにも、は何も言わず嬉しそうに立ったままだ。
負けず嫌いなのか頑固なのか、譲る気のない二人に痺れを切らした不二先輩の一言が突き刺さった。
「・・・二人とも、ちょっと落ち着いたら?」
気のせいかな、不二先輩の背後に一瞬般若が見えた気がする。
すぐに口をつぐんだ二人に満足したらしく、改めて、と不二先輩が向き直った。
「騒がしくってごめんね。えっと・・・」
「あ、あたし、桃と同じクラスのです!この子も同じクラスで、って言います」
普段より一際高い声を弾ませながら自己紹介をするに続き、私も軽くお辞儀をする。
越前君の視線を感じて、うまく笑うことが出来なかった。
「さんとさんね。僕は不二周助・・・よかったら、皆で一緒に帰らない?それなら、英二達も文句ないと思うから」
「「えぇー!?」」
「何か文句でもあるの?英二、桃」
「・・・ないにゃ」
「・・・ないっス」
てきぱきと意見を取りまとめた不二先輩に、の目はハートになっていた。
三人がいいーっと呟く菊丸先輩に、ツイてねーな、ツイてねーよ、と不満げな桃ちゃん。
そしていまだ私を見ている越前君の六人で、結局帰宅することになってしまった。
気がつけば、東の空には月が昇っている。
まだ部室内に残っている先輩方に挨拶をする桃ちゃんたちに倣い、私とも少し顔を出して挨拶をした。
初めて間近で見た眼鏡をかけた手塚先輩、いや部長は、同じ中学生とは思えないほど物静かな人だった。
通いなれた通学路を歩きながら、中学になってからこんなに賑やかな帰り道は初めてだとふと思う。
一番前には、菊丸先輩と自転車に乗った桃ちゃんがふざけあっている。
先程の争いはなんのその、上下関係を感じさせないような仲の良さだ。
私の前には、憧れの不二先輩と話すの姿。
その後ろ姿は緊張のためか少し肩が上がっていて、たまに見える横顔はやっぱり赤く染まっていた。
だけど賑やかなのはそこまで。
皆の後をついていくように並んでいる私と越前君の間には、まったく会話がなかった。
気のせいかな、私が意識しているためか彼まで意識している雰囲気がある。
なんとも気まずくて、私は思い切って会話を試みた。
「えっと・・・、一年生?」
から聞いて名前も学年も知っているけど、話のネタとして質問する。
彼は私をチラリと見ると、「そうっス・・・」っと呟きそれきり黙りこんだ。
「・・・そ、そうなんだー」
思った以上に弾まない会話に戸惑いつつ、頭をフル回転させ次の話を考える。
名前を聞くのは馴れ馴れしいかな、私は部活も入っていないし、失礼なことを聞いたらどうしよう。
私自身の名前は、の自己紹介を聞いてすでに知っているはずだ。
「あんた、テニス部?」
あれこれ思案していると、突然越前君が話しかけてきた。
先程と同じ、あの大きな瞳で私をじっと見ながら。
急に、膨らんでいた風船が一気にしぼむような感覚をおぼえた。
「う・・・ううん。帰宅部だけど・・・」
「じゃあ、なんで・・・」
「?」
なんで、という言葉の先は聞けなかった。
彼はとても口数が少なく、結局その日は会話がほとんどない帰り道だった。
* * * *
「ただいま、カルピン」
いつもと違う帰り道だった今日、リョーマは足元にすり寄ってきたカルピンを抱き上げ自室へ向かう。
途中ちょっかいをだす父親を適当に流し、部屋の扉を閉めテニスバッグを床に置いた。
腕からするりと抜けたカルピンをそのままに、ベッドに座り後ろに倒れこむ。
「疲れた・・・」
自分の体から漂う汗の臭いに、早く風呂に入りたいと思わず顔をしかめた。
パッと起き上がり着替えを取り出していると、ふと帰り道のことが頭によぎる。
今日、自分の隣を歩いていたのは知らない女の先輩だった。
いや、まったく知らないわけではない。前に何度か、目が合ったことがある。
テニス部を見ている人間なんて、何人といる。もちろん、一度きりでなく何度も通って見ているやつも多い。
その中でも彼女の視線は、なんとも言いがたいものだった。
羨望の眼差し、とでも言うんだろうか。
彼女がとても羨ましそうに自分を見つめていることに、リョーマは気付いたのだ。
テニス経験者でレギュラー陣に憧れているのかと思ったら、帰宅部だと言っていたのでどうやらそうではないらしい。
「わけ分かんない・・・」
六人という決して少なくない人数で帰ったのに、自分はほとんど何も話さなかった。
会話のない帰り道だった。
不二先輩の隣を歩いていた、なんとかっていうもう一人の女の先輩は、それはよく喋っていたが。
とはいえ、今日の帰り道が嫌だったわけではない。
初めて間近で見た先輩は、思ったとおり可愛い顔をしていた。
フェンス越しや遠目でも、なんとなく分かっていたことだけれど。
そんなことを考えている自分がおかしくて、思考回路を変更しようと立ち上がり上着だけを脱ぐ。
着替えを持って、既に沸いているであろう風呂場へとリョーマは足取り軽く向かった。
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