初めて目にした彼は、正直言って別世界のような人だと思った。



第二話



に連れられテニス部の練習を見たあの日から、もう二週間が経っていた。

あれから毎日ではないけれど、とよく足を運ぶようになっているためか徐々に部員の人達の顔と名前が一致してきている。
それと同時に、クラスで話す友人が増え始めてきた。

私達が見学していることに気付いた桃城君や荒井君と話すようになったし、冗談も交わすようになった。
廊下で、頬にバンソウコウをはった菊丸先輩とすれ違ったときは、思わず目で追ってしまった。
威圧感のある海堂君に少し緊張したり、体育の授業で人格が変わった河村先輩に目が点になったりした。

そうしてテニス部の人達の存在を、日々感じるようになった毎日。
でも、心臓が止まるほどドキッとしたのは、職員室前で見かけた越前リョーマ君だけだった。



HRが終わり教室掃除をしていたある日、はとてもご機嫌な様子で床を掃いていた。

「今日も不二先輩いるかな〜」
「うん、・・・」

今日こそ話しかけたい、と意気込む彼女の横で、私は小さく溜息を吐いた。
別にコートに行きたくないわけじゃない。見るのがつまらないわけではない。
部員同士の試合もたまにあって、それはとても見ごたえのあるワクワクする試合だった。

ただ見に行く度に、越前君の凄さを実感してしまうことが嫌なのだ。
もちろん他のレギュラーの人達も負けず劣らず強く、見るものを圧倒させるテニスをする。

それなのになぜか、越前君だけはどうしても苦手だった。

私はテニスをやっているわけではないけれど、あの自信に溢れたところが羨ましくてしょうがなかった。
同じ人間なのに、どうしてこうも違うんだろう。
悔しいわけではなく、自分の情けなさをありありと突きつけられるような感じがしてしまうのだ。


床上のゴミを集めていると、仲良くなった桃城君、もとい桃ちゃんが顔を出した。
テニスバッグを担ぎ、いかにもこれから部活という感じだ。

「お前ら、今日も見にくんの?テニス」
「もち!ね〜♪」
「う、うん」
「そっか。やっぱ応援は女子がいなきゃあ盛り上がんねーな、盛り上がんねーよ」

越前くんがいなければ行ってもいいんだけどなぁ、なんてことは口が裂けても言えるわけがない。
そんな私の心を知るはずもなく、桃ちゃんは嬉しそうに笑った。

「じゃあな。ヒマさえあれば毎日でも来いよー」

手を振って教室を出て行った桃ちゃんの表情は、とても輝いている。
大好きなことを夢中になってやれる、そんな当たり前なことがとても羨ましかった。



教室掃除で遅くなったから、すでにテニスコートの周りは先客である何組かの女の子がいた。
空いている空間を探してと並ぶと、最近よく聞くようになった声援がコートに向かって飛んでいる。

「菊丸くーん!」
「桃城先輩、頑張ってくださーい!」

初めてコートに来た時よりも、明らかに女の子の数が増えている。
それを部員の皆がどう思っているかは分からないけど、名前を言われた桃ちゃんはちょっと嬉しそうに笑っていた。
そんな光景がほほえましくて笑みがこぼれた瞬間、私にとって聞きたくない言葉を誰かが叫んだ。

「リョーマ様、頑張って〜!」

無意識のうちに、コートの中の彼を探す。
探さないように、見たら目をそらすって決めていても、どうしても目で追ってしまう。
そしてまたあの強い瞳を見つけて、私の胸は痛くなり羨望の感情が沸き起こるのだ。

鮮やかなプレーを見せ付ける越前君の姿は、今日もまた、私の目を釘付けにしてしまった。



太陽が西に傾き、コートの周りにいた女の子たちはもう今はほとんどいない。
部活が終わり、コート整備をしていた一年も皆が部室に引っ込んだ今、私はの言葉に絶句していた。

「えーっ!」
「なんで“えー”なのよ。憧れの先輩方に近づけるチャンスじゃない!せっかく桃が、皆で帰ろうって誘ってくれたんだから!」
「でも・・・でも、そんな急に・・・」

一体いつそんな話になっていたのだろうか。
断る暇もなく腕を引っ張られ、の足は確実に部室前に向かっている。
拒否権はないとばかりに連れてこられ、恥ずかしさで逃げ出したくなってきた。

「いや〜!」
「ここまできたら、後戻りはできないわよ!」
「連れてきたのでしょー!」
「つべこべ言わない!」

ぴしゃりと言葉を終わらせたが、中の話し声を聞こうとドア越しに耳を寄せる。
その時前触れもなく、ドアがパッと開いた。

「っあ〜疲れたにゃ〜!」

間一髪で扉を避けたは、さっきの勢いはどこへやら驚き口をパクパクさせている。
制服に着替えた菊丸先輩が、長い腕を上げ大きく伸びをしながら出てきた。
にゃ〜、なんて言うんだ。ちょっと可愛いかも。

目の前にいるピクリとも動かない私達に気付いたらしく、先輩が大きな瞳をぱちくりさせて首をかしげた。

「あっれ〜?テニス部になんか用?」
「はい!お疲れ様です!」

やる気を取り戻したが緊張気味に答えると、見慣れたつんつん頭が続いて顔をだしてくれた。

!悪いな、待たせて」
「にゃ?桃の知り合い??」

チャンス到来、というの呟きが聞こえたけれど、私は一刻も早く帰りたかった。
薄っすら開いている扉からは、一年生と思われる男の子が数人固まっているのが見える。
このままいくと、越前君が部室から出てくるかもしれない。
苦手な彼と直接対峙するのだけは、どうしても避けたかった。

桃ちゃんの大きな手が、私達の頭を軽くポンポンと叩く。

「二人とも同じクラスなんスよ。最近よく見に来てるから、一緒に帰ろうと思って・・・」
「俺も一緒に帰る!」
「道違うじゃないっスか!」
「関係にゃい!それにこーんな可愛い女の子二人、桃にはもったいないっ!」
「はぁ!?」

テニス部の部室前で、二人は小さな言い争いを始めてしまった。
楽しそうに笑うとは対照的に、私は恥ずかしくて顔があげられない。
騒ぐ声を聞きつけてか、もう一人が扉を開けて顔を出した。不二先輩だ。

「どうしたの?英二」

間近で見る不二先輩は、サラサラの髪をなびかせてとても優しそうな笑顔をしていた。
隣にいるの小さな悲鳴が聞こえたけど、彼女が夢中になるのもうなずけちゃう程、容姿端麗な人だ。
菊丸先輩が、太陽のような笑顔を向けて自慢げに声を張った。

「不二!俺は今日この女の子二人と一緒に帰るんだ〜♪」
「って菊丸先輩!そこに俺は含まれてないんスか!?」
「あったりまえ〜!男と一緒に帰っても楽しくないもんね!」
「俺が先に誘ったんスよー!?」
「残念無念また来週!ってね〜♪」

収集のつかなくなりそうな話に、皆で一緒に帰れば・・・という考えが頭に浮かぶ。
だけどそれだと、越前君も一緒になってしまう可能性がある。それだけは避けたい。

頬を染めているは、不二先輩だけに意識が飛んでいてこっそり二人で帰ることも出来なさそうだ。
困っちゃったな、そう思った矢先に、一番嫌なことが起こってしまった。

「何騒いでるんスか?」

不二先輩が開けたドアからもう一人、ひょっこりと顔を出したのは紛れもなく越前君だった。
制服に着替え帽子をとったその表情は、コート上で見るよりも少し幼い。
ぱっちりと開かれた目は、なぜか真っ直ぐ私のもとへと来てしまい顔をそらす暇もなく、至近距離で合った視線に心臓がざわめき始めた。

周囲の音が遮断された気がする。体が熱くなって、指先ひとつ動かすことができなかった。
彼の大きな瞳が、更に、少し大きくなった気がした。

強い視線を浴びたまま、私は自分の心がどんどん萎縮していくのを感じていた。


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