日常が色を足して舞い戻ってきた、そう思っていたけれど。
あの時から私の日常は、鮮やかな毎日へと生まれ変わったのだ。



第二十九話



、あの席空いてるよ」

待ちに待ったお昼休みの時間、学生で混雑する食堂で運良く席を見つけた私とはトレーを置き腰を落ち着けた。
手を合わせいただきますをして、スプーンで黄色い卵をほぐすとケチャップライスが顔を出す。
口に含んだオムライスは、席探しで時間が経ったためか少し冷めているけれど、空腹だと大して気にならなかった。
が食べているきつねうどんはまだ熱そうな湯気がたっている。

ほとんど来たことのない学食は、今週でもう三回目だった。
最近になり季節柄日差しがかなり強くなったため、屋上で快適に過ごすことができなくなったのだ。
そのため教室でお弁当を食べたり、こうして学食に来るようになった。

曇りになれば日差しも和らぐし、また四人集まれるのにと思ってみても、お天気というのはなかなか思い通りにいかない。


「ねぇねぇ、次って世界史だっけ?」
「うん、そうだよ」
「あー!ほんっとあの授業ヤダ!あの先生の教科書の読み方おかしくない?」

そう言われて、口をもぐもぐ動かしながら世界史の授業風景を思い浮かべてみた。

「そうかな?まぁちょっと遅い読み方かもしれないけど」
「その遅さが問題なのよ!なんかお経みたいで眠くなる」
「ふふっ。そういえばはいつも寝てるよね。授業が終わる頃は皆半数以上寝てるかも」

一口大に切ったお揚げを頬張る彼女は、肩肘をつき手に顎を乗せて溜息を吐いた。

ものんびりしてるから、あんま遅いって思わないのかもね〜」
「でも、私もたまに眠くなるよ」
「そうだっけ?あんま見たこと・・・あ」

私の後ろに視線を走らせたがピタリと動きを止め、つられて振り向くとそこにはトレーを持ったリョーマ君が立っていた。

「!ごほっ、ごほっ!」
「わっ、大丈夫!?」
「・・・俺のせい?」

突然の彼の登場に飲みかけたご飯が気管に入ってしまい、慌てて水を飲み首を振った。

「ち、ちが・・・ごほっ・・・・だいじょう、ぶ」

正直、苦しいやら恥ずかしいやらで大丈夫ではない。
おまけに顔が赤くなっていると自分でも分かったけど、これは気管に入ったからなのだと声を大にして言いたい。

「ごほっ・・・ど、どうしたの?」

リョーマ君の持っているトレーの上には、焼き魚定食が乗っていた。
周りには桃ちゃんもおらず、どうやら一人で食堂に来たようだ。

「隣、いい?」

そう言ってリョーマ君は顎で私の左を指した。
どうやらそこに座っていた男子生徒は既に食べ終わったようで、向かいの席、即ちの隣も空席になっていた。
私が答える前に彼はさっさと席に座り、左手でお箸を持ってご飯を食べ始める。

「ほーんと、越前リョーマ君はマイペースだね〜」

その様子を見てもお箸を持ち直す。
私も気を取り直しオムライスに取り掛かろうとして、これで桃ちゃんがいたらまるで屋上でのお昼みだいだなと嬉しくなった。
と同時に、周囲の雰囲気が変わり始めたことに気付き顔を上げる。この食堂で、なぜか私達が注目を集めていたのだ。

心なしかざわついていた周りの声もトーンが落ちたように思えて、同じように感じたらしいがほとんど口を動かさずに喋った。

「なんかうちら、見られてね?」
「う、うん・・・」

恐らく校内で有名なリョーマ君が隣にいるからだろう。
当の本人は気付かないのか慣れているのか、黙々と目の前の焼き魚を慣れた手つきで食べている。
凝視している私達の視線に気付いたのか、味噌汁のお椀を口に運ぼうとした彼がなんだという表情を見せた。
が大げさに肩をすくめる。

「スーパールーキー君も大変ねぇ・・・」
「なんスかいきなり」

答えを求めるようなリョーマ君と目が合ったが、私は何も言えないまま曖昧に笑い再びオムライスに手をつけた。

忘れていたわけではないけれど、彼は一年生にしてレギュラーを勝ち取った青学でも有名な生徒なのだ。
おまけに女の子達にも人気があることに最近気付いたのは、私自身が彼への恋情を自覚してからだった。
詳しく知らないけれど、ファンクラブなんてものも存在するらしい。
こうして彼の隣に座っていると、一瞬気後れを感じてしまう。


一足早くうどんを食べ終えたが頬杖をつき、おひたしを食べているリョーマ君の方へ体を向けた。

「最近来てるの?食堂」

一度だけ目を向けて、彼は首を振った。

「昼は教室で」
「だよねー。あーあ、早く涼しくなれば屋上でご飯食べられるのに〜」

そうっスね、と隣から小さな同意の声が聞こえた。
お昼休みの時間を楽しみにしているのが自分だけではない気がして、私は思わず笑みを零す。


オムライスを食べ終わりトレーを片付けようと立ち上がろうとすると、目の前にいるがすかさず私の動きを制す。
座っててと言われテキパキお皿を重ねトレーを一つにまとめた彼女は、ウインクをしてさっさと席を立ち、呼び止める間も無く行ってしまった。
手持ち無沙汰になった私はご飯を食べるリョーマ君の隣で、なんとなく落ち着かないまま水を飲む。

「今日は見にくんの?」

何を、なんて聞かなくても分かる。放課後のテニス部だ。
最後の一口を食べ終え箸を置いた彼に、私はううんと答えた。
今日はとケーキを食べに行くからと言うと、またあの人かと苦い顔をされてしまった。

「なんだ。昨日来なかったから、今日は来るかと思ったのに・・・」

その言葉に私はドキッとした。
つまりそれは、残念だと思っていると都合良く解釈してもいいのだろうか。
だけどすぐに、きっと社交辞令のようなものだと頭の中の考えを消した。

「ごめんね。昨日もと、あとクラスの女の子達と寄り道したの」
「ふーん。ほんと仲いいよね、先輩と」
「うん!すっごくいい子だもん、リョーマ君ももっと仲良くなれるよ」
「いや、別に仲良くしたいわけじゃないけど・・・。まぁ、悪い人じゃないとは思う」

でも、とリョーマ君が言いかけた時、私の肩に見知った重みが乗りウェーブのかかった髪が目の端に映った。

「ごめんねー越前リョーマ君。昨日も今日もテニス見に行けなくって」
!」

私の頭の上に顎を乗せているをチラ見したリョーマ君は、溜息をつくだけで何も言わなかった。
席を立ち食事の終えたトレーを片付けようと歩き出したその背中に、私は声をかける。

「明日!明日は、見に行くから!」

すると彼は律儀にも立ち止まり、振り向いて頷いてくれた。
その様子を黙って見ていたが感心したように呟く。

「ずいぶん素直になったねぇ、あの子」

うん、と短い返事を返すことで精一杯の私は、握り締めた両手で跳ねる心臓を押さえる。

今日はあまり会えないだろうと思っていたけれど、短い時間でも一緒にお昼を食べることができた。
それに明日は部活を見に行ける。そしてそのことを直接、彼に伝えられた。
気持ちは上ずっているはずなのに、遠慮なく注がれる周囲の視線や一瞬感じた気後れに、妙な緊張が体中を駆け巡っている気がした。


  back