今までの日常がとても輝いていたことに、私は今更気付いたのだ。
第十七話
近頃の天候は、雨が続いていた。
平年より遅い梅雨入りだったらしいけど、傘をさしながら歩くのは煩わしいし、やっぱりお日様が恋しくなる。
曇りの日でも湿度は高く、ジメジメした空気がクラスの皆のやる気を下げ、眠い世界史の授業が更にそれを加速させていた。
先生の読む教科書の内容はまるで子守唄のようで、一人また一人と頭が下がり半数以上が机に突っ伏した頃、ようやく終了を告げる鐘が鳴った。
礼を済ませた先生が教室から出て行くと、先程まで眠りこけていた生徒達は一斉におしゃべりを始めた。
昼休みということもあるのか、教室内に活力が少し戻った感じがする。
「!お弁当食べよ〜」
「うんっ」
その中でも一際明るいは、湿気にも負けないパーマを揺らしながら私の隣に座り、お弁当のフタを開ける。
比較的席の近い桃ちゃんも、大きなお弁当を持ってきての隣に座った。
「おいおい、お前それ弁当か?」
机の上に転がっている一個の小さなおにぎりを見て、二人は眉をひそめる。
「、最近食欲落ちたんじゃない?」
「そ、そんなことないよ。おかずだってあるもん。ほら」
小さなタッパーを開ければ、中には昨夜の残り物が詰まっている。
お肉も野菜も入っているし、栄養的にも問題はない。
「あんたそれ・・・一膳分のご飯冷凍しておくためのタッパーじゃない・・・」
「、前はちゃんと弁当箱持ってきてたじゃねぇか。俺、それだったら百人分はいけるぜ」
「だって、これで十分なんだもん・・・」
いただきます、とラップに包まれているおにぎりを一口食べると、二人もやれやれといった表情でお弁当を食べ始めた。
こうして教室でお昼を食べているのは、雨で屋上が使えないという理由だけではなかった。
あの日から、リョーマ君が来ないのだ。
私が彼に謝れなかったあの日以来、彼は屋上に姿を現さなくなった。
もともと四人で食べる約束をしていたわけではないが、突然来なくなったことを不思議に思った桃ちゃんは何度か声をかけたらしい。
だけど彼は首を縦に振らず、訳も話さないままで、結局戻ってくることはなかった。
あいつは気まぐれだからよ、と桃ちゃんは言っていたけれど、リョーマ君が来ない原因は紛れもなく私だった。
せっかく親しくなり賑やかなお昼休みも楽しかったのに、何も出来ないまま彼との距離が離れてしまった。
近づいたと思っていた距離は、錯覚だったのかもしれない。
「・・・ごちそうさまです」
食べるのがいつも一番遅かった私は、少ない食事量のため今では一番早く食べ終わっていた。
それでも残りの二人はあっという間に食べ終わり、桃ちゃんは購買に行くといって荒井君達を誘って行ってしまった。
彼の胃袋は、いったいどうなっているんだろう。
お弁当箱をしまったが立ち上がり、私の肩を叩いた。
「ね、ジュース買いに行かない?」
「うん、いいよ」
お昼休みが終わるまで、まだまだ時間がある。
お財布を持って教室を出ると、自販機までお喋りをしながらと歩いていった。
たどり着いたその場所はお昼のピークはとうに過ぎていて、周辺にいる生徒はまばらだった。
「なんにする?」
「苺牛乳。久しぶりに飲みたくなっちゃった」
お金を入れてボタンを押し、取り出し口に落ちてきたピンク色のパックを手にとった。
「苺牛乳か・・・いいね。でも珈琲牛乳も捨てがたいな〜、同じ牛乳でこうも悩むとは・・・」
いつも即決するタイプの彼女が悩むことは殆どない。
うんうん唸るが珍しくて成り行きを見守っていると、ふと誰かに見られている気がして後ろを振り向く。
壁に隠れてすぐに見えなくなったあの後姿は、間違いなくリョーマ君だった。
手の力が抜け、思わず苺牛乳のパックを落としてしまう。
「!」
「ちょっと、大丈夫?」
慌てて拾い上げもう一度目を向けても、そこには誰もいない。
避けられていることは明白だった。
「どうしたの?誰かいた?」
「今、リョーマ君が・・・・気のせいみたい。教室戻ろ、」
珈琲牛乳を手にしたの袖を引っ張り、早足でもと来た道を歩いていく。
私の横顔を見て彼女は何かを察してしまったのか、ふぅんと短く答えるだけでそれ以上何も言わなかった。
パックにストローをさして一口飲むと、苺の甘い香りが鼻から抜けふっと肩が軽くなる。
突然のことでびっくりして落としてしまったけれど、幸い無事に飲むことができた。
「、今日どうする?」
放課後、とは言葉を付け足す。
それはもちろん、テニス部を見に行くかどうかという内容の質問だった。
リョーマ君と口をきかなくなってから数回見学をしたけれど、部活が終わる寸前に私は何かにつけて
と先に帰宅していたため、帰り道が一緒になることはなかった。
私がコートへ行くのに乗り気じゃないことにはすぐ気付き、それからテニス部を見に行こうとはあまり言わなくなり、
今では誘ってくる桃ちゃんや荒井君達をうまくかわしてくれているのだ。
それでも理由を聞かない彼女は、本当に気の回る女の子だ。
「ん・・・どうしようかな」
だけど、彼女だって不二先輩を見たいはずだ。
そう考えた時、私は思わず質問をしてしまった。
「は、やっぱ不二先輩が見たいからコート行くんだよね?」
不意打ちの質問に、ストローをくわえた彼女の顔がみるみる真っ赤になっていく。
そんな表情を見るのは初めてで、驚いて動きの止まった私の口が慌てて塞がれた。
「んなに言っちゃってんのちゃん!?苺牛乳になんか入ってたのかぁ!?」
「ふ、ふぎゅうぅ・・・」
首を横に振ると手を放したは、取り乱した気持ちを抑えるように咳払いをする。
通りかかった廊下の窓を開けて立ち止まり、内緒話をするように声を抑えて言った。
「なんで急にそんなこと聞くのよっ」
「だって・・・」
私は、自分がどうしてテニス部を見に行くのかが分からない。
最初はについていったけれど、いつからか自然と足がコートへと向いていたのだ。
それはやはり、心のどこかで行きたいという気持ちがあるからなんだろうけど、でも一体、私は何を見に行っているのか。
悩みの一つでもあるそのことを打ち明けると、は少し驚き考えた後そっと目をふせた。
「そうね・・・、私は確かに不二先輩目当てだけど、別に恋愛感情はないのよ」
「えぇ!?」
今度は私が驚く番だった。彼女の乙女心は、恋心ではなかったのか。
ならどうして頬を染めたり、テンションが高くなったりするのだろう。
「なんてゆーか・・・私にとって不二先輩って、芸能人みたいなカンジなの」
「芸能人・・・?」
「そ。そりゃカッコいいし素敵な人だけど、彼女ができたらもちろん応援するし」
「か、彼女さんできてもいいの?」
「うん。だからつまり、尊敬っていうのかな・・・あ、目の保養でもあるし」
今になって知ることができた彼女の気持ちに、私はちょっとガッカリした。
密かに心の中で応援していたけれど、どうやら必要なかったらしい。
だけどは、きちんとした理由があって見に行っている。
明確な自分の意志を持っていることが羨ましくて肩を落とすと、よしよしと頭を撫でられた。
「大丈夫よ。にもちゃんと、理由がある」
「えっ、ほ、ほんと?」
「うん。でもたぶん、自分で気付くのにはもうちょっと時間が必要かもね」
まるで私が知らない私自身の気持ちを、知っているような口ぶりだ。
教えてとせがんだけれどそれは叶わず、代わりに頭を軽くチョップされてしまった。
「その前に、あの生意気ルーキーと仲直りしなさい」
そう笑ってウィンクをするは、どうやらすべてお見通しのようだった。
勘だけでなく洞察力も鋭い人には、きっと隠し事なんて意味のないことなのかもしれない。
「・・・はい」
素直に返事をした私に、彼女はそれ以上何も言うことはなかった。
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