「別に興味ないだろ、男子テニス部なんかさ」
部活へ向かう途中、の後姿に気付き声をかけようと近づいたョーマは、聞こえてきた会話に足を止めた。
自分の知らない男と彼女が一緒にいる、だがそれ以上に、話の内容が気にかかった。
まるで盗み聞きのようではないかと思いつつも、動けず耳をそばだてている自分がいるのは、なぜだ。
第十五話
「私、は・・・」
リョーマが立っているこの位置からは、彼女の背中しか見えず表情は窺い知れない。
それでも僅かに聞こえてきたの声は、とうとうそれ以上言葉にすることはなかった。
急に目の前に抗えない現実を突きつけられた気がして、リョーマは手を握り締めた。
軽く汗ばんだ手、心臓が鈍い音をたてている。
自分の気持ちが、心が、急激に重くなっていくのを感じた。
立ち尽くしているの傍からリョーマは声もかけずに離れ、急ぎ足でテニス部へと向かった。
「ほれほれ、ちんたらしてんじゃないよ〜!!」
雲が散らばる空の下、フェンスの中では元気のいい部員達の掛け声が響いている。
それをどこか頭の片隅で聞きながら、リョーマは一人、軽い柔軟をして身体を伸ばしていた。
テニスコートを取り囲んでいるギャラリーは、いつもの面々で皆楽しそうに見物をしている。
少し遅れてやってきたは定位置に収まると、とお喋りをしながらも騒ぐことはなく大人しく見始めた。
そんな二人から視線をはずしてリョーマは帽子を深く被りなおす。
さっきまでの廊下のやり取りを見てから、どことなく落ち着かない。そんな自分も嫌だった。
柔軟を終えたちょうどその時、威勢のいい声で桃城が声をかけてきた。
「越前、打とうぜ!」
「・・・いいっスよ」
いまだ煮え切らない気持ちを切り替え、誘われるまま空いているコートへと移動する。
ネットを挟み桃城と対峙すると、リョーマは大きく息を吐き出した。
「うっし、じゃ、お前からいいぜ」
その言葉にリョーマはズボンからボールを取り出しグリップを二、三度握り締めると、放り投げたボール目掛け勢いよくラケットを振り下ろす。
相手の足元を狙ったボールは、力強く打ち返されてきた。
最初は軽く打ち合う程度のはずが、ラリーが続くとお互い一歩も譲れない状態になる。
いつの間にか周囲の注目を集めていた打ち合いの中で、攻撃的なリョーマはさっそく仕掛けることにした。
(桃先輩のダンクスマッシュ、打たれる前に先に攻めてやる)
返ってきたボールの下に面をいれ、リョーマはドロップショットを放った。
ネットにかかり桃城のコートへこぼれたボールは、打ち返されることなく数回バウンドしてころりと転がりそのまま静止して動かなくなった。
そこでようやくリョーマは相手の異変に気付き、構えをやめて腕を下ろした。
「・・・桃先輩?」
自慢の跳躍力を持つ桃城なら取れない球ではなかっただろう。
だがなぜか困惑した表情の相手はこちらを見つめたまま、ラリーができるような雰囲気ではなかった。
「なんスか?」
「越前、お前・・・なんかあったのか?」
「は?」
唐突に言われた言葉に、リョーマは訳も分からず首を振り何もないと答えた。
「ほんとかよ?なんか今日の打ち方、いつもの越前じゃねーよ」
そう言われラケットを握りしめている手に意識を集中してみると、僅かに痛みがある。
どうやら気付かないうちに、かなり強く握り締めていたようだ。
「なんつーか、がむしゃらに打ったって感じだったぜ」
「・・・・」
止まったラリーに張り詰めていた意識が緩むと、リョーマはふと視線を感じた。
フェンスの外に佇む心配そうな顔のを目にした途端、忘れかけていた感情が心の底から沸きあがってきた。
なんとも落ち着かない、煮え切らない気持ち。
イライラする。
いつもなら目が合えば、多少口元を緩めることはあった。
だがリョーマは彼女から目を逸らしラケットを持ち替え、余計な思考を頭から追い出して腰を落とす。
「別に何もないっス。桃先輩、続きいきますよ」
再び空へ吸い込まれたテニスボールは、なんだかやけに薄汚れている。
それからずっと、部活が終了してもリョーマはフェンスの外を見ることはついになかった。
その日の練習も無事終わった。
いつものようにコート整備を終え部室に戻ると、リョーマはいつものように制服に着替える。
今日は皆疲れているのか、着替え終わると談笑することもなくさっさと帰路についているようだ。
室内に人は殆ど残っておらず、堀尾達三人組も気付くと居なくなっていた。
黙ったままジャージを畳むリョーマに、桃城は困ったように頬をかく。
「おい越前、やっぱなんかあったろ?」
畳むスピードをあげたリョーマは、それ以上何も言わないで欲しいと思っていた。
今この部室には部長がいる。おまけに何を悟ったのか、不二までもが自分を心配そうに見ていた。彼は色々と厄介だ。
とは言うものの、今日の部活にあまり身が入らなかったことは事実だった。
もちろんボールが打てないなんてことはないし、コントロールもスピードにも狂いはない。
周りの人間に気付かれるほど精神的に弱くもないが、終始何かが心の奥に引っかかっていた。
そのせいで、一瞬テニスに意識が向かない瞬間があるのだ。
それはあまりにも些細なもので、直接打ち合った桃城と勘のいい不二ぐらいしか気付いていないのだろう。
それでもやはり、人に指摘されると余計にイライラが増した。
「なんもないっス」
ジャージを乱暴に棚へ突っ込み上着を羽織ると、バッグを持ちさっさと出口へ向かうリョーマの背中に、控えめな桃城の声がかかった。
「おい、ニケツは?」
「・・・今日はいいっス」
また同じようなことを聞かれてはたまらない、とリョーマは扉を開ける。
「お先失礼しまーす」
誰に言うわけでもなく、視線を感じながら部室を後にし校門へと向かった。
重苦しかった室内と違い、外は気持ちのいい風が吹いている。
テニスコートはもちろん校庭にも人気はなく、誰に会うこともないまま校門前まで差し掛かった時、一人の女の子が
その場に立っていた。だ。
「あっ・・・リョーマ君・・・」
部活を一緒に見ていたの姿はなく、どうやら一人でリョーマを待っていたようだ。
思わず足を止めてしまったリョーマに、少々遠慮がちな笑顔のまま彼女は口を開いた。
「あの、お疲れさま」
「・・・なんか、用?」
今日の昼とはまるで違う冷たい声に、の肩がピクリと動く。
動揺している彼女から視線を外しながら、なぜこんな冷めた接し方をしているのかリョーマは自分でもよく分からなかった。
「えっと・・・今日のリョーマ君、なんかいつもと違うプレーだったね。・・・何か、あったの?」
部外者が口出しすることじゃないかもしれないけど、とバツが悪そうに笑うに、リョーマは驚いた。
桃城や不二ぐらいしか勘付いていないことに気付くなんて、ほわほわしている彼女が気付くことは正直とても意外だった。
だけど何かあったのかなんて、リョーマ自身よく分かっていないのに言えるはずもない。
それどころか静かだった胸の内が、ざわめいて再びイラつきを呼び起こしている。
何か言いたいのに言葉が出てこないもどかしさが、余計に心を焦らせる。
だからだろうか、気付いたとき自分は、心にもないことを口にしてしまった。
「・・・あんたには、関係ないよ」
周囲の温度が一気に下がったように感じた。
それだけ言い放つと、完全に動きの止まったの横をリョーマはするりと通り抜けて行く。
後ろを振り向くことは、できなかった。
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