第十四話



いつになったら梅雨はくるんだ、そう思いながらリョーマは屋上から青空を仰ぎ見る。
昼休みである今、この場にいるのはいつものメンバーだった。

空の弁当箱に中身のないパンの袋、ペットボトルのジュースが転がる傍で昼寝をしているのは桃城と
そして隣でのんびりとおにぎりを食べているという、そこにあるのは見慣れた光景だった。
気付けばお昼はこの四人で食事をすることが多くなった。
特に約束をしたわけでもないのに、昼休みになるとリョーマの足は自然と屋上へと向かうのだ。

途切れがちだったとの会話も、スムーズとはいかないがそれなりに話をするようになっていた。
これは遊園地に行ったおかげでもあるかもしれない。
それでも沈黙はやってくるものだが、穏やかで決して嫌な空気のものではなかった。

ファンタを飲みながら、随分親しくなったもんだと最初の頃を思い出していると、急に彼女から前触れもなく質問が飛んできた。

「リョーマ君って、何が好き?」
「は?・・・なんスか、いきなり」
「あのね、お礼がしたいなって思って」

脈絡が掴めずよくよく聞いてみると、どうやら自分を元気付けてくれたお礼に何かできることはないか、というものだった。
遊園地の礼ならいらないと言うと、それだけじゃなくてとは首を横に振った。

「絵、描けるようになったの。・・・そのお礼」

そうかとリョーマはようやく合点がいった。
今日の体育の授業中、窓から見えた彼女はスケッチブックを持っていた。どうやらもう授業には出れるようだ。

しかし自分は助言をしたわけではなく思ったことを言っただけなのだ。
あの言葉はきっかけに過ぎなかった、そう言うとは困ったように笑った。

「リョーマ君らしい」
「ども」
「でもお礼させて?」
「・・・・」

彼女の少々頑固なところが垣間見えた瞬間だった。
礼をもらう程のことではないのだが、恐らくこのままではの気が済まないだろう。
もちろん嫌な気はしないが、これといって思いつくものが今のリョーマにはなかった。

「いきなり言われても、思い浮かばないっス」
「じゃあ、思いついたら言ってね?」
「はいはい」

適当にもとれるリョーマの返事に取り敢えず満足したのか、それ以上追求することなくは弁当の続きを食べ始めた。
その様子を見ながらリョーマは頭を巡らせていたが、やはりそうそう思いつくものではない。

また今度考えようと思考を切り替えファンタを一口飲むと、そういえばとに声をかけた。

「今日も放課後、テニス見に来るんスよね?」
「うん、そのつもりだよ」

特に毎回聞いてるわけではないし、それは分かっていたはずの答えだった。
それなのにどこか心の隅で安心している自分がいたが、リョーマは気付かないフリをする。
いつの間にか空には雲が散らばり、湿った風を運んできていた。



*  *  *  *



帰りのHRを終えた二年八組では、生徒達の賑やかな声が響き渡っている。
男子生徒と話をしていた担任が出て行くと、一足早く、が私の席に嬉々としてやってきた。

〜!テニスコート行こう♪」
「うん、ちょっと待ってね」

今日配られたプリントを折りたたみノートに挟みながら、カバンに必要なものを詰めて帰り支度をする。
桃ちゃんと荒井君達が、教室を出る間際手を振ってくれるのが見えた。
そんな彼らに、今日も見に行くよとが手を振り返している。

「ほら、早く。いつもの場所とられちゃうよ〜」
「ん・・・もうちょっと」

机の中に手を入れ忘れ物はないか確認をし、よし、と席を立つと同時に男の子に呼び止められた。
先程先生と話をしていた、彼は風紀委員の男の子だ。

「おーい、
「なぁに?」
「お前アンケートのプリントだしてないだろ?」

教卓の上でプリントの束を数えながら、のがないぞ、と眉根を寄せている。

忘れてるんじゃない?あんた鈍いから」
「・・・アンケートってなんのアンケートだっけ?」
「風紀委員のアンケート。先週配られたやつよ」

記憶の断片に薄っすら言われたものがあった気がして、机の中を覗き込んで調べると少しクシャクシャになったA4サイズの紙が出てきた。
すっかり忘れていたため、当然解答欄はすべて白紙だ。

「やっぱりね〜、らしいわ」
、早く書いてくれよ」

二人からお小言を言われながら、私は泣く泣くペンをとりだす。
学年に丸をして、以前、リョーマ君に日誌を書くのを待たせたときのことを、ふと思い出した。
そんな昔のことじゃないのに、胸がくすぐったくなるような懐かしさだった。

、先にコート行ってて」
「いーって。すぐ終わるでしょ?」
「でもいつもの場所とられちゃうし・・・書いたらすぐ行くから。ね?」

日誌でもアンケートでも、こういうものに私は時間がかかる、ということを知っているは肩をすくめて頷いた。

「分かった。早く来なさいよ?場所取りしておくから」
「うん、ごめんね。お願いしまーす」

少し急いで出て行ったを見送り、教室掃除で机とイスを下げている子達の邪魔にならないよう立ったまま教卓の上で書くことにした。
一つ一つ丁寧に回答していると、すぐ隣で見ている風紀委員クンがひょいと覗き込んできた。

急いでたけど、お前らどっか行くの?」
「うん、男テニ見に。ごめんね、すぐ終わらせるから」
「ふーん・・・」

普段なら会話をしながら書けるけれど、今は急いでいるためアンケートに集中した。
気を遣ってくれたのか、彼は何も言わず待ってくれている。

にはすぐ行くと言ってしまったけれど、質問数が多くなかなか進まなかった。
やはり適当に書くことができず、ようやく最後の項目を埋めたのは十分程たってからだ。
息をつき、できたばかりのそれを隣にいる彼に手渡す。

「はい、お待たせしてごめんね」
「お、サンキュ。じゃ、これ持って」
「へ?」

今彼に渡したばかりの一枚のプリントが、教卓の上に置かれているプリントの束に加わるとそのまま全部私の手に乗せられてしまった。
五センチほどの紙の束が、妙に重く感じられた瞬間だった。

「それ持って一緒に来て。俺、他のプリントも持ってかないといけないんだ」
「あ、でも私・・・・」
「風紀委員の俺を労うってことでさ、手伝ってよ」

有無を言わせずさっさと教室を出る彼に、私は慌ててついていった。
そのままコートに直行できるよう、重いけれどカバンも一緒に腕に抱える。
部活はまだ始まる頃だろし彼を待たせてしまったのは自分だ。大人しく手伝うことにしよう。

少しでも時間短縮できるように、早く行かせようと前を歩く彼の背中をプリントで押す。
くすぐったかったのか、なんだよと笑いながら振り向かれた。

「も、もうちょっと早く歩いて欲しくて・・・」
「なんで?」
「だって、テニス部が・・・」

階段が近づいてきたため並んで歩き出すと、彼はなぜか溜息を吐き出した。

だろ?を引っ張って連れ回してんのは」
「え?」
「あいつ、テニス部にかっこいい先輩がいるとか言ってたし。ミーハーだよな」

かっこいい先輩というのは不二先輩のことだろう。
分かりやすいのかなんなのか、の乙女心はどうやら彼に知られているらしい。
連れ回されてるわけじゃ・・・と口を開きかけると、突然立ち止まった彼はこう言い出した。

「お前は行きたいわけじゃないんだろ?別に興味ないだろ、男子テニス部なんかさ」

なぜ急にそんなことを言い出したのか考えるより先に、私は自分の頭の中が真っ白になるのを感じた。
目の前に、絶対に解けない問題を提示されたかのような気がしたのだ。
確かに最初はに連れられて見始めたテニス部だった。でも今は違う。
はっきり違うと分かっているのに、じゃあなぜ自分は、ほぼ毎日のように見に行っているのだろう。

「私、は・・・」

が行っているからという訳でもない。
見たいから見ているのだと確かにそう言える。でも、何を見たいんだろう?

未だに細かいルールもよく分かっていないのに、『テニス』を見に行っているとは言えなかった。
もちろん試合を見るのは楽しかったが、でも何かが違う。

押し黙ってしまった私に悪いと思ったのか、変なこと言ってごめんな、と彼は私の腕からプリントを持ち出した。

「ま、どっちにしろは急いでるんだよな。ここまででいいからさ。じゃあな」

重くなった荷物を抱え職員室へと歩いていく彼の背中を見つめながら、私は呆然と立っていた。
未だ解けない質問に頭の中がうまく回らず、胸の奥がズキズキと疼いている。

廊下の先を見つめる私は、リョーマ君が見ていたことも気付かずしばらく動くことが出来ずにいた。


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