リョーマ君の腕の中で泣いた雨の遊園地は、天気のいい日に行くよりも、深く深く思い出に残る気がした。



第十二話



降り出した突然の雨。
雨宿りの途中で話したことは、にも誰にも言っていない私の中の秘密、そして弱い部分だ。

泣きじゃくる私を包み込んでくれたのはリョーマ君の腕の中。
そこは雨で濡れているはずなのにとても温かく、まるで心にある塊を溶かしてくれるような不思議な場所だった。

泣き疲れて顔をあげると、そこにあるのはリョーマ君の申し訳なさそうな顔。
勝手に泣いていたのは私なのに、彼は一言「ごめん」と口にした。
元気を出してほしくて遊園地に誘った、それなのに泣かせてしまったと、彼は言う。

ねぇリョーマ君、本当にありがとう。
その気持ちだけで私は十分元気になれるよ。

それは絶対に忘れられない、雨の遊園地での小さな出来事だった。



翌日の月曜日は、昨日の空が嘘のような爽やかな天気だった。
校門前で見つけたに声をかけ一緒に上履きを履き替えていると、顔を覗き込んできた彼女が首を傾げた。

、なんかいいことあった?」

そう言われた瞬間、脳裏に昨日の遊園地でのことが浮かびあがった。
リョーマ君と遊びに行ったことを知っているのだろうかと思ったけれど、どうやらそうではないらしい。

曖昧に誤魔化すと、それでも嬉しそうには笑う。

「いい顔してる。なんて言うのかな・・・わだかまりがなくなった感じ?」

昨日たくさん泣いたからかもしれない。彼女の言葉に私はハッとした。
確かに気分は今までと違いスッキリしているという自覚があり、どこか吹っ切れたような清々しさが胸に残っていた。

それにしても、彼女は昔から人の空気に敏感だ。

「えへへ、ちょっとね」

詳しく話さずとも私の返事に満足したのか、今度ケーキ屋に行こうよとは話題を変えた。
こうして人の気持ちを汲むのが上手い彼女は、本人が口を開くまで深くは追求してこない。
本当にいい友達をもったなと、私はしみじみ思った。

階段を登りながらおしゃべりをしていると、ふと上の方から聞きなれた声が耳に入る。
二人して顔を見合わせ小走りで踊り場まで行くと、そこには桃ちゃんとリョーマ君が向かい合って話していた。
すかさずが声をかける。

「桃!越前リョーマ君!おはよ〜」
「おう、はよっ」
「・・・ども」

振り向いた二人に私も挨拶を交わした。
リョーマ君と目が合うと少しだけ笑ってくれて、ちょっと照れくさいけど私も小さく微笑み返す。

「なーにテニス部のお二人さん、何のお話?」

割って入ったの言葉に桃ちゃんが、そうだと言ってリョーマ君に向き直った。

「お前、ほんとに大丈夫なのかよ」
「平気っス」
「ならいいけどよ。・・・昨日こいつ、風邪ひいたってんで部活休んだんだよ。珍しいこともあるもんだよな」

会話の内容に、私は思わず吹き出しそうになり慌てて咳払いをして誤魔化した。
そうだ、昨日は部活をサボって遊園地に行ったのだ。

真正面から突っ込まれているリョーマ君は全く動揺することなく、俺だって風邪くらいひきますよ、口元を緩ませて笑う。
だけど昨日は、雨に濡れちゃったから下手したら本当に風邪をひくところだったかもしれない。

不自然にならないよう、私もそれとなく会話に入ることにした。

「もう風邪は大丈夫なの?リョーマ君」
「全快っスよ」
「そっか。よかったね」
「ども」

棒読みに近い私の声に堪えきれなかったのか、ニヤリと笑った彼につられて私も笑い返した。
その様子を、桃ちゃんが目をぱちくりさせて見ている。

「お?なんだお前ら、いつの間にそんな仲良くなったんだよ」

いけない、これ以上笑っていたら怪しまれてしまう。
そう思ったのも束の間、がニヤニヤしながら桃ちゃんの頬に指を向けた。

「あっれ〜?桃ったらジェラシー?」
「バッ・・・!ちげーよ!!おい、こら待て!」

からかうを追いかけ桃ちゃんは階段を駆け上がっていき、その後ろ姿はあっという間に見えなくなった。
残された私達は我慢できず笑いを吐き出し、そうして息を整え私はようやく彼にお礼を言うことができた。

「昨日はありがとう、リョーマ君」
「・・・いーえ」

彼に伝えたありがとうの言葉には、いくつもの感謝が含まれている。

遊園地に誘ってくれて、私の我儘に付き合ってもらったこと。
黙って話を聞いてくれたこと、気付かなかったことを教えてくれたこと、そして泣く場所を作ってくれたこと。

そのすべてに対する感謝をたった一言で終わらせるには、少し物足りなさが残る。
だけど生憎、私にはこの一言しか伝える言葉が見つからなかった。


HRが近いことを告げる鐘が響き渡り、たくさんの生徒達が慌しく教室に戻っていく。

私も二年八組に向かう為、またねとリョーマ君に手を振り階段を上ろうとしたその時、先輩と声をかけられる。
振り返り首を傾げると、彼は何か言いたげに口を開いては閉じていてそれを数回繰り返したのち、小さな声だがはっきりとした口調でこう言った。

「昨日は結構楽しかったっス・・・ありがと」

泣きついて迷惑をかけてしまったというのに、楽しかったと、リョーマ君は言ってくれた。
たったそれだけで体温が急上昇していき、こみ上げた嬉しさが満面の笑みをつくり心からの気持ちが声に出る。

「私からもありがとう!また行こうね!」



*  *  *  *



リョーマが一年二組の教室に入ったのはと別れた後、HRが始まる時間ギリギリだった。
幸い担任はまだ来ておらず、席に座ったリョーマに後ろから身を乗り出してきた堀尾がさっそくと話しかけ始めた。

「越前っ。なんかいいことあったのか?」

教室に入ってきたところをちょうど見た堀尾は、様子がいつもと違うと敏感に感じ取ったらしい。
そんなに自分は分かりやすいのだろうか、だが機嫌がいいことは確かだった。

ここであんに認めると詮索され面倒臭そうなことになると思ったリョーマは、もちろん否定をした。

「別に・・・ないけど」
「ほんとかよ?なーんかいつもと違うっていうか、なんていうか」

いつも空気を読まない彼に気付かれるということは、よっぽどなのかもしれない。
リョーマは口元を引き締め、毎度のように堀尾をあしらった。

「いつもと変わんないし」
「ん〜、そうかぁ?」

でも、とまだ何か言いたげな堀尾を遮ったのは、教室に入ってきた先生だった。

ようやく周囲が静かになり朝のHRが始まると、連絡事項を話し始めた担任の声が教室内に響く。
それをぼんやりと聞き流しながら、リョーマは昨日のことを思い出していた。

泣かせてしまったことは想定外だったけれど、遊園地に誘ってよかったとリョーマは心から思っていた。
彼女の本心を聞けただけでなく、どうしてあんな目で自分を見ていたのかもようやく知ることが出来たのだ。

それに何より、また行こうねと彼女は満面の笑みで言ってくれた。
なんだかそれは二人だけの秘密のようで、知らず知らずのうちに口元が緩んでしまう。

そんな自分をらしくないと思いながらも、結局今日一日、リョーマの機嫌が崩れることはなかった。


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