『ここしばらく、天気が崩れる日が続くでしょう』
今日から一週間は、雨、雨、雨とずらり並んだ傘マーク。
テレビに映るお天気お姉さんの笑顔につられるように、はニッコリと微笑んだ。
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放課後、図書委員の仕事で(珍しくまじめに)本の整理をしていたリョーマは、窓の外を見て溜め息をついた。
今日の部活は雨で中止、そんな日がここのところ三日連続で続いていた。
今朝見た天気予報でも雨が続きそうだったことを思い出すと、知らず知らずのうちに眉が寄る。
と言っても、部活ができないからそんな表情をしているわけではない。
「リョーマ君!」
図書室の入り口から聞こえてきたの声に、背表紙の文字を目で追っていたリョーマはすぐさま反応した。
だが嬉しそうな顔でカバンを持ち、期待をこめた瞳で見つめられていることに気づきおもむろに顔を逸らした。
「ヤダ」
そう言って、再び分厚い本と睨めっこをする。
「まだ何も言ってないのにー!」
「・・・・何?」
本気でショック!という顔をされたら、いかにリョーマと言えども無視できない。
自分の甘さに呆れつつも本の整理をする手を止めると、話を聞いてくれると分かったは頬を染めて嬉しそうに口を開いた。
「ね、今日の帰り道、相合傘しよう?」
最近、彼女はこればっかりだ。
リョーマは小さく溜息をついた。
自分の可愛い彼女が頬を桜色に染め、熱のこもった瞳でおねだりをしているのを見たら、イエスと言いたくなる。
だけど相合傘なんて、とてもじゃないができっこない。
恥ずかしいことはもちろん、先輩方に見られたらからかわれることは間違いないし、ヘタしたら
あのデータマンに変なデータを取られかねないのだ。
「ヤダ。それに俺、傘持ってるし」
心を鬼にして、リョーマは答えた。
天気予報では一週間は雨が続くといっていたから、恐らく今週いっぱいはせがまれるだろう。
「あのね、私傘持ってないの。・・・だから入れて?」
どんなにお願いしても相合傘をしてくれないリョーマに対抗するため、なりに策を考えたのだろう。
だが無情にも、その首が縦に動くことはなかった。
「だーめ。俺、傘二本持ってるから」
どうやらリョーマの方が一枚上手のようだ。
明らかにガーン、という顔のに多少悪いと思いながらも、たまたま置いておいた置き傘に
リョーマは感謝せずにはいられなかった。
それからものお願い攻撃は幾度となく続いたが、結局相合傘をするには至らず。
傘マークの一週間が過ぎ、代わりに太陽と雲マークが週を埋めるようになった。
久しぶりの太陽が顔を出し、雨で遅れた分を取り戻すように部活にもいっそう力が入る。
竜崎先生の渇や手塚部長の怒声をBGMに、はリョーマの部活が終わるまで教室の窓際の席に座り宿題をしていた。
時々チラリと窓からのぞくと、コートで先輩相手にツイストサーブをかますリョーマの姿が見える。
その拍子に落ちた白い帽子を拾い上げかぶりなおしたリョーマは、教室の窓から自分を眺めているの姿に気づいた。
そんな彼女に小さく微笑むと、再びグリップを固く握りしめ空へとボールを放った。
夢中になってテニスをしている時でも、彼はふとしたときに自分を見つけてくれる。
も小さく微笑み返すと、先輩との打ち合いを再開したリョーマから目を逸らした。
外ばかり眺めているわけにもいかず、だがあまり見たくない数学の教科書をパラパラとめくる。
(結局、相合傘できなかったな)
静かな教室に、テニス部員のかけ声が聞こえてくる。
教科書に書かれた図式を色ペンで囲みながら、は小さく息を吐いた。
(ちょっとしつこかったかなぁ・・・)
今思えば、天気予報のお姉さんの「一週間雨宣言」から今日までのちょうど一週間、急に思いついた相合傘をひたすらリョーマにお願いしていた。
なんだかんだ言っていつもお願い事をきいてくれる彼の優しさに、自分は甘えていたのかもしれない。
今回は相合傘という、きっと彼にとってあまり嬉しくはなさそうなお願いでも、少し眉根を寄せてはいたがそこまで嫌な顔をしないで断っていた。
(でも・・・本当はすごく嫌だったかもしれない・・・)
そう思うと、今さら申し訳ないという気持ちがこみ上げてくる。
(部活終わったら・・・あやまろう)
ノートと教科書を枕に、は机の上に突っ伏した。
目を瞑ると、外から聞こえるテニスボールの音が耳に優しく響く。
カタン、と小さな音をたて、の手からシャーペンがするりとすべり落ちた。
「・・・・ん・・・?」
穏やかに浮上した意識に瞬きを繰り返すと、手にしていたはずのシャーペンが力なく机の上に横たわっていた。
身体を起こし、いつの間にか眠っていたんだとは小さな欠伸をする。
その時ふと感じた違和感に、耳を澄ませた。
眠る前まで聞こえていたはずのテニス部員の声とボールの音が消えていて慌てて外を見ると、いつ降り始めていたのか
重たい灰色の雲と地面を打ち付ける大粒の雨が目に飛び込んできた。
テニスコートでは一年生がボールとネットを慌ただしく片付けていて、その中にリョーマの姿が見えた
に気付いた彼は、教室で待っててと身振りで伝えラケットを抱えて部室へと駆け込んでいく。
その様子を確認すると結局あまり進まなかった宿題をしまい、はカバンの奥にある水玉模様の折りたたみ傘を見つめた。
(今日の雨は予想外だったけど・・・リョーマ君、傘持ってるんだろうなぁ)
少し残念と思いつつ、きちんと謝ろうとは自分の願望を心の奥に押し込み机の上を片付け始めた。
暫くすると、二年八組の教室の扉を開けて制服姿のリョーマが入ってきた。
先ほど雨に降られたせいか、髪がしっとりと濡れている。
「お疲れさま!濡れちゃったね〜」
手渡されたハンドタオルを受け取ったリョーマは、テニスバッグを床に置いての席の隣に座った。
「サンキュ。いきなり降ってきた。また部活中止だよ」
「最近ずーっと雨だったもんね」
そう言って相合傘をせがんだことを思い出したは、急に居心地が悪くなる。
押し黙った彼女をリョーマは不思議そうに見つめた。
「?」
「・・・ごめんね、リョーマ君」
リョーマは髪を拭く手をとめる。
「何が?」
「あの・・・相合傘、しつこくお願いしちゃって。嫌だったよね、リョーマ君の気持ちも考えないで・・・ごめんね」
「別に気にしてないって」
「・・・ほんと?」
申し訳なさそうな表情はまるで怒られた子供のようで、その可愛さにリョーマは思わず口元が緩む。
「ほんと。気にするようなことじゃないっしょ?」
「・・・ん。でも・・・っ」
言いかけた言葉を遮るように、口を開いたの頭にハンドタオルを乗せる。
そしてそのままキスをするとリョーマはイスから少し立ち上がり、逃げられないように彼女の後頭部を手で抑える。
逃げる彼女の舌を追いかけて最後に頬にキスをすると、瞳の潤んだ相手の表情に満足してリョーマはを解放した。
頭に乗ったタオルを、は恥ずかしそうに握り締める。
「気にしてないから。分かった?」
「・・・はい・・・」
真っ赤になって俯いた頭を優しくポンポンとたたくと、もう一度頬にキスをして二人は教室を後にした。
雨は、まだ降り続いている。
止みそうにない雨の音を聞きながら、二人は下駄箱で靴を履き替える。
重い灰色の空を見上げ折り畳み傘を開くの様子を見ながら、リョーマはゆっくり口を開いた。
「あのさ・・・」
「?どうしたの?」」
靴を履いたまま照れくさそうにしているリョーマの顔をは不思議そうに覗き込む。
少しの間の後、躊躇いがちな声が誰もいない昇降口に響いた。
「・・・俺さ、今日、傘ないんだよね」
入れてくんない?
そう言われた彼女は驚きのあまり相手の顔を凝視し、穴が開くほど見つめられた頃リョーマは咳払いをひとつした。
その音にようやく我に返ったは、顔を赤くして遠慮がちに頷いた。
一週間も自分から言い出していたことなのに、いざやるとなると恥ずかしいらしい。
リョーマは苦笑するが、そんな恥ずかしがり屋な彼女を可愛いと思うのもまた事実。
の小さく細い手が握る傘を、リョーマはスッと取り上げた。
「リョーマ君・・・?」
「これがしたかったんデショ?」
傘を左手に持ち、自分と相手との間に小さな屋根を作る。
ようやく叶った相合傘に恥ずかしながらもありがとうとお礼を言うと、は嬉しそうにリョーマに寄り添う。
水玉模様の相合傘を差して、二人は家へと向かった。
激しい雨が降っていた昨日とは違い、一夜明けた今日は暑いくらいの日差しが降り注いでいる。
HRが始まる前の二年八組の教室で、は席につきとおしゃべりをしていた。
「あちーな〜、今日は」
「あ、桃!おはよ〜」
教室に入ってきた桃城にが気づき、声をかける。
カバンを机の上に置くと、桃城はの隣の席に座った。
「昨日と大違いの天気だよな。昨日の夕方、すげー雨降ったんだぜ。おかげで練習が中止になってよ〜」
「そうなの?、昨日の放課後、越前リョーマ君待ってたんでしょ?平気だった?」
「うん。折りたたみ持ってたから」
昨日の相合傘を思い出すと、頬が緩む。
くれぐれも先輩には内緒にとリョーマに言われた手前、は笑顔をグッとこらえた。
「、傘持ってたのか!じゃあ越前は濡れて帰ったわけじゃないんだな」
の様子に気づくことのない桃城は下敷きで自分を扇ぎながら、ふと不思議そうな顔をして顎に手を当てた。
「しっかし越前の奴、昨日なんで部室に傘置いていったんだぁ?」
「えっ?」
「の傘に入れてもらおうと思ったんじゃないの?」
桃城との言葉に、頭の中で昨日の光景がフラッシュバックする。
昇降口で見た照れくさそうなリョーマの顔が浮かび、は弾かれたように立ち上がった。
驚いた二人の呼ぶ声に構わず、教室を飛び出す。
目の端に映った時計は、HRが始まるまであと十分程だった。
階段を転ばないように急ぎ、角を曲がり人とぶつかりそうにながらも一年二組の教室を目指す。
あんなに嫌がっていたはずの相合傘だというのに、の胸に湧き上がるのは期待だけだった。
息を切らして目的地にたどり着き、開きっぱなしの扉からそっと中を覗くと見慣れた姿がそこにいた。
堀尾と話している(というより堀尾が一方的に話している)リョーマが見えたのだが、声を出して呼ぶことに少し躊躇う。
しばし迷っているうちにリョーマが気付き、からかう堀尾を適当にあしらって近くにやってきた。
必要以上に顔を近づけられていることに、は気付かない。
「おはよ、」
「うん、おはようリョーマ君・・・」
「・・・?なに?」
スーパールーキーの可愛い年上の彼女の登場に、今やクラス中の注目を集めている。
その渦中にいるは周りを伺う余裕もなく、下を向いたまま必死に言葉を探していた。
見られていると分かっているリョーマがますます顔を近づけると、ヒッと息を呑む女の子の声がどこからか聞こえた。
「ん・・・あのね・・・」
「ん?」
「昨日・・・ほんとは、傘持ってた?」
予想外の言葉に何も言えなくなったリョーマに、は急いで口を開く。
「桃ちゃんが、部室に傘置いていったって・・・」
「・・・・」(桃先輩・・・余計なことを・・・)
じっと見つめられ今更ながら昨日の照れがよみがえり、リョーマは頭を掻いた。
誤魔化しもできない状況に諦めたのか、渋々といった感じでそっぽを向き変わらない口調で呟く。
「・・・別に。ただの気まぐれ」
そんな無愛想な言葉にもかかわらず、は嬉しそうに微笑んだ。
どんなに愛想のない短い答えでも、その一言がすべてを物語っている。
「ありがとう、リョーマ君」
「・・・ん」
照れつつもしっかりと目を合わせた二人の距離は、ほんの十センチも離れていない。
につられリョーマの口元が弧を描くと、HRを次げる鐘の音が教室に響き渡った。
その日から、雨の日には水玉模様の相合傘が見られるようになったとか。