祭 り 一 夜 後編
「やっぱり、リョーマ君って凄い」
林檎飴を食べながら歩くの手には、先程の射的で得られた戦利品がポリ袋に詰められていた。
大半はお菓子だがその中の一つでもあるウサギのキーホルダーは、結局リョーマに取ってもらったのだ。
「残り3玉のうち私が2玉使って外して・・・最後の一発で当てちゃうんだもん」
「ま、実力の差ってやつ?」
小さくなったわたあめを食べながら笑うリョーマに、は頬を膨らましながらも嬉しそうに袋を持ち上げた。
「でも、ありがとう」
「どーいたしまして」
軽やかな下駄の音を鳴らして歩く彼女の両手は、林檎飴と巾着、そしてポリ袋で塞がれている。
景品の入った袋をとったリョーマの指が、空いたの右手に優しく絡まった。
嬉しそうな表情に電飾の暖かな光があたっている。辺りはだいぶ暗くなってきたが、人出が減る気配はなかった。
その後も、輪投げやヨーヨー釣りといったメジャーな遊びを一通り終えると、二人の手にはポリ袋がいくつかぶら下がるようになった。
通り間際にペットボトルのお茶を一本買うと、それを持って今度は本殿へ向かい途中の階段で足を止めた。
ライトアップをされていない本殿は、軒を連ねる屋台の光で淡く浮かび上がるように佇んでいる。
階段の石垣に寄りかかるとリョーマはお茶の蓋を開けた。
お互いに喉を潤し一息つくと、今度はが袋を覗き込み駄菓子をいくつか取り出した。
スナック菓子やボーロに、少し溶けかかった一口チョコを食べながら、今まで歩いてきた一本道に目を向ける。
道の両脇に建ち並ぶ屋台の明かりは夜の闇が濃くなるにつれますます映え、いくつもの光の球体が浮かんでいるように見えた。
唐突に、が口を開く。
「・・・ありがとう」
祭囃子の賑やかな曲調の中に紛れてしまいそうな程の小さな声にリョーマが顔を向けると、はにっこりと微笑んだ。
不意を突かれたリョーマは、気恥ずかしさから聞こえないフリでもしようかと思ったがタイミングを外し、短く返事をするに止まる。
彼女の言いたいことは分かった。
要は、人混みが好きではないのに、わざわざ連れてきてくれてありがとうと言ったのだ。
とはいえ人混みを好む人はそうそういないだろうし、リョーマ自身お祭りが嫌いという訳でもない。
何より、普段目にすることのない彼女の浴衣姿が見られたのだ。疲れることはあっても、後悔などあるはずがなかった。
そんな思いをすべて乗せた短い返事はどうやらに届いたようで、彼女はホッとしたように巾着を持ち直す。
その拍子に体が揺れ、簪の飾りが綺麗な音をたてた。リョーマはふと足元に目が行く。
履き慣れていない下駄でだいぶ歩いたが、痛くはないのだろうか。
尋ねると彼女は首を振り、交互に両足を地面から離した。
「鼻緒のとこが、もしかしたら痛くなるかもって思ってたんだけど、なんか気にならなくなっちゃった」
「痛いところないの?」
「うん。帰り道も大丈夫そう」
そうだ、とがパッと顔を上げる。
寄りかかっていた石垣から背中を離すと、リョーマにお菓子の入った袋を渡した。
「あれ買ってくるから、ちょっと待っててね」
そう言って指差したのは、ここからすぐ近くにあるベビーカステラの屋台だった。家に土産として買うようだ。
一緒に行こうとするリョーマに大丈夫だよと告げると、1分も経たない内に列に並ぶ彼女の後ろ姿が見えた。
あの屋台は一番奥、つまり鳥居から入ると最後、そして今いる本殿から見ると最初の屋台だ。
ここからなら、例え誰かに絡まれたとしてもすぐ傍に行くことはできる。リョーマは後を追うのを諦めた。
いつも近くにいる彼女をこうして遠目から見るのは新鮮だ。
普段と違う髪形と服装、しゃんと伸びた立ち姿、やはり今日は大人っぽく見える。綺麗だ。
純粋にリョーマはそう思った。
「お祭り、楽しんでいただけていますか」
前触れもなく声をかけられ驚いて振り向くと、そこにはあの面の男がいつの間にか階段に座っていた。
一体いつからそこにいたのだろうか。
そう尋ねるような視線のリョーマに、驚かせてすみませんと男は頭を下げた。
自分のお面屋はもう閉めたのだろうか、座ったまま男は動かない。
訪れた沈黙に、リョーマは自分の答えを待っているのだと気付き、はぁ、まぁ、と返事をした。
面の覗き穴から見える両目がにこりと笑った。
お祭りの関係者か、もしかしたらここの神社の神主なのかもしれない。
こうして男を近くでゆっくり見て、リョーマはこの時ようやく狐の面を付けているのだということを知った。
淡い光に照らされている狐の顔が、屋台に並ぶの背中に向けられる。
「あの方が、貴方の恋人ですか」
「そう・・・っスけど」
あまり愛想がいいとは言えない受け応えにも男は気にせず、可愛らしいお人ですねぇとこちらに面を向けた。
「いやはや、滅多にお目に掛かれない逸材だ。私もあんな女子(おなご)と、人生を共にしてみたいですなぁ」
「・・・・」
飄々とした物言いについていくことができない。
困惑するリョーマに気付いた男は、はしゃいだ自分を恥じるように咳払いを一つした。
そして大人しく正面に向き直ると、それにつられるようにリョーマも目線をに戻した。
人生を共に、か。
屋台の列に並び、カステラの甘い香りに頬を緩め待ちわびる彼女の姿。
ぼんやりとした明かりの中でもその存在だけは見失わない。自分と彼女が離れる場面など思ったこともない。
否、離れることなど絶対にできない。
自分たちは、そういう存在になったのだ。
優しい眼差しを向けるリョーマを横目で見た狐面は、やはり、と言ってゆっくり立ち上がった。
「ここに来ていただけのことはありますなぁ」
「・・・?」
ハッピを揺らし本殿の方へと向かうその背中に声をかけようとしたリョーマを遮ったのは、屋台から戻ってきただった。
腕の中にベビーカステラの袋を二つ抱えている。どうやらお互いの家に土産を買ったようだ。
礼を言い、熱さの残る紙袋を受け取ったリョーマが振り向くと、男の姿は既にない。
変わらず静かに佇む本殿と、周りの竹林の囁きだけがそこにある。
祭りの終わりを知らせるように、オレンジの電飾が一つ消えた。
程よい満腹感と心地よい倦怠感に包まれながら、二人は帰り道をゆっくり歩く。
ベビーカステラは冷め始めてはいるが祭りの雰囲気は味わえる。家族も喜ぶだろう。
電灯の並ぶ住宅街に差し掛かってきた頃、そういえばねとが口を開いた。
「カステラ買った時に屋台のおじさんに聞いたんだけど、今日のお祭り、狐祭りって言うんだって」
「狐祭り?」
「うん。狐の神様が開くお祭り」
そうか、とリョーマは合点がいった。
だからあの男は狐の面を被っていたのだ。やはり関係者だったらしい。
それにしても祭りのチラシをもらったにも関わらず、きちんとした名称があったとは。見逃していた。
「それで、その・・・お祭りはね、・・・」
途端、恥ずかしそうに言葉を濁すに先を促すと、噂だけどねと何度も前置きしてからようやく話し出した。
そのお祭りは恋人同士で訪れると、強い絆はさらに強く、深い愛はさらに深くなり、ずっと一緒にいることができるのだという。
大昔、狐の神様がこの地で開いたお祭りに何人もの恋人達を招待し、招かれた彼らは永遠に幸せに暮らしたのだ、と。
人間の幸せな顔を見ることが好きだという狐の神様が始めた、恋のお祭り。
正直リョーマにとって、この手の噂は特に気にも留めるものではないのだが悪い気はしなかった。
だが本音を言うと、神様の力なんぞ借りなくても自分たちは離れない。離れられない。
リョーマの言葉に真っ赤になったは、そうだねと言って嬉しそうに笑った。
「お祭りのこと、リョーマ君は何で知ったの?ネット?」
「いや、チラシ配ってるおじさんがいてさ」
「へぇ・・・今時珍しいね」
「俺もそう思った」
ぼんやりとした明かりが灯る静かな住宅街の中、祭りの香りを纏った二人の足音が小さく聞こえる。
既に遠くなった神社で、瞬いていたオレンジ色の明かりが一斉に消えた。
明かりだけではない。
今しがた、そこにいた人も佇む屋台も、漂う匂いまでもすべてが一瞬にして掻き消えた。
まるでつい今までの賑やかさなど無かったかのように、空気ががらりと変わり暗闇と静けさだけがそこに残っている。
夢のような祭り一夜。
今日のお祭りが、その狐の神様からの招待だということをリョーマは知らない。
心と心が深く愛し合い、繋がっている者だけが行くことのできる幻の空間だということを。
人っ子一人いない神社の中、本殿の前に佇むハッピ姿の男が、面の奥でにっこりと微笑んだ。
「いついつまでも、お幸せに」