夕闇色の強まる時間帯、騒音のない静かな道路を歩く二人の足取りはとてもゆったりしている。
慣れない下駄を履いているに気遣いながら、リョーマはその愛らしい姿に目を細めた。
品のいい柄でまとめた浴衣に身を包み、髪には可愛らしくも控えめな簪が揺れている。
派手ではないが地味でもない、彼女にぴったりと合ったその浴衣姿はセンスの良さが窺い知れた。
とにかく目立とうとあれこれ手を加えるより、リョーマとしては断然こちらの方が好みであったし美人は手を加えずとも美人なのだ。
いや、可愛いという言葉の方が合っているか。
だが髪をまとめ上げほつれた柔らかな束がうなじにかかるその横顔は、美人というに相応しい気もする。
がこちらを振り向いた。笑顔を湛えたその顔は、やはり誰よりも可愛らしかった。
祭 り 一 夜 前編
祭りに行こうと誘ったのはリョーマからだった。
事の発端はつい先日、用事で出かけていたその帰り道の時だ。
たまたま一人で歩いていると、ハッピを着て面を被った男が祭りのチラシを配っていたのだ。
人集めにしては随分アナログなことをやっている、そう思いながらも道すがらそのチラシを受け取ったリョーマは捨てることもせず一通り目を通した。
カサカサした紙に少し掠れた文字が乗っていて、手作り感が溢れている。
祭りが開かれる場所は知らない神社だ。場所はそう遠くはなく、有名ではないにしろ出店もそこそこ出るようで印刷された写真は
たくさんの人で賑わっていた。
リョーマ自身、人混みは好きではない。
だが自分中心ではなく、を中心に物事を考えると結論は180度変わる。
その場で即決したリョーマが何気なく後ろを振り返ると、動物の面をした男は相変わらず黙々とチラシを配っていた。
そういえばあの面は、一体なんの動物だったんだろう。
そんなどうでもいいようなことを考えるリョーマの隣で、近づいてきた祭囃子の音をの耳がキャッチした。
巾着を揺らして袖を引っ張るその瞳は期待でキラキラと輝いている。
「ねっ、もうすぐ着く?」
楽しげな声で現実に引き戻されたリョーマは、一呼吸置いて竹林の奥を見やった。
葉の隙間から屋台らしき電飾の光が微かに漏れ出ている。
そこを曲がったらすぐだと答えると、はますます明るい笑顔を見せた。
どっしりと構えた神社の鳥居をくぐると、そこには音と光、そして人が溢れていた。
決して広くはない神社だが奥に鎮座している本殿は物々しく、周囲は竹林に囲まれているため普段は厳かな雰囲気なのだろう。
だが今日は祭りの日。本殿へと続く一本道には、両脇に出店が所狭しと並んでいた。
神様もこんな時ぐらいは、騒いだって目をつぶるはずだ。
どうやら屋台の味を相当楽しみにしていたらしいは、香ばしい匂いやら甘い香りやらにつられてフラフラと危なっかしい。
逸れないようにと彼女の手をしっかりと握って、何を食べるとリョーマは問いかけた。
の目はわたあめに釘付けだ。
「えっと・・・たこ焼き・・・」
「・・・どっち?」
浴衣の帯もなんのその、どうやらお腹が空いているらしい。
一先ず、わたあめは食後にということにしておき二人はたこ焼きを買った。
人出が多いにも関わらず店先に行列は少ない。
出店の数が多いからだろうか、ひょっとしたら同じ屋台が何軒もあるのかもしれないとリョーマは思った。
なんにせよ並ぶ時間が少ないのは有難いことだ。
結局たこ焼きだけでなく焼きそばやじゃがバター等も買い揃えると、人通りの多い道から外れた場所にあるイスに座ることができた。
イスというよりも分厚い木の板に短い脚の生えた不格好なベンチのようなものだったが、二人は落ち着いて屋台の味を堪能した。
人波から外れたこの場所は、なぜか不思議なほど静かだ。
そこまで離れているわけではないはずなのに、軒を連ねている出店のランプはここから見るとぼんやりとしたオレンジ色の球体のようだった。
隣でたこ焼きを頬張るも同じことを考えていたのだろう、瞳には暖かなランプの光が映っている。
「なんか、不思議な神社だね」
「・・・ん」
だが居心地はいい。
喧騒とは程遠い人のざわめき、優しい色を放つ電飾に、風に乗って運ばれる屋台の香り。
囲むように生えた竹林の中は深く薄暗いものの、心地の良い涼やかな音を奏でている。
二人は食べ終わった後も、少しの間その穏やかな空気に身を寄せていた。
空腹が満たされると、今度は甘いものが食べたいというの言葉に従い二人は不格好なベンチから腰を上げた。
シロップがたっぷりとかかったかき氷をすぐ近くの屋台で買うと、食べ歩きをしながら境内の奥へと進んでいく。
かき氷が減ったところでわたあめも買い足すと、リョーマがふと立ち止まった。
二三軒奥にいるのは、この祭りのチラシを配っていた面の男だった。
どうやらその風貌に相応しくお面屋をやっているようで、小さな子供が指差すお面を取って渡している。
以前と同じ面をかぶっているその表情は当然隠れて見えないが、心なしか楽しそうな雰囲気を纏っていた。
「リョーマ君!あれやっていい?」
はしゃぐの声に我に返ると、わたあめを持っていない方の手で射的の屋台を指差している。
子供だけでなく大人まで真剣になっているその場は歓声や落胆の声が相次いでいて、見物者を呼び寄せていた。
景品はゲーム機の入った大きな箱から、小さいガムまで様々だ。
も特に欲しいものがあるというわけではなく、単にゲームとしてやりたいのだろう。
既に溶けきったかき氷を飲み干してすぐ近くのゴミ箱へ投げ入れると、リョーマはついて行くように射的場へ向かった。
「お嬢ちゃん可愛いねぇ!おじさんオマケしちゃうよ!」
代金を払うと引き換えに出てきたのは、紙コップに入った10個のコルク玉だった。
ありがとうございます、そう恥ずかしそうに答えるの姿は、周りの見物者の目を引いている。
リョーマ自身それは不愉快極まりない光景だが、こう人の多い場所でいちいち気にしているわけにもいかない。
彼女からわたあめを受け取り隣に立つことで、極力気にしないよう意識を背けた。
木製の射的銃にコルクを一つ詰めたは、邪魔にならないよう浴衣の袖を少し捲る。
細く綺麗な腕が構える銃の先が狙っているのはお菓子だろうか。
うーん、と眉を寄せたまま人差し指を引くと、パンッという軽い音とともにコルク玉が小さな箱に当たった。
一番近い距離にあるその箱は前後に揺れた後、落ちることなく再び元の場所に収まった。
「、もうちょい上」
アドバイスを受けもう一度同じ商品を狙い撃つと、今度は見事にバランスを崩して台上に落ちた。中身は、どうやら飴玉のようだ。
その後も近くて打ちやすいものを狙いいくつか落としたところで、銃口は中段に向かう。
箱から少し顔を出しているウサギのキーホルダーを狙っているなと、リョーマはすぐに気付いた。
だが落としてきたお菓子と比べて重心がしっかりしてそうだ。簡単には落とせないだろう。
残りのコルク玉は3個ある。
代わろうかと言いかけたリョーマは、の横顔を見て口を閉じた。
真剣な表情の彼女を見るのは稀で、その横顔はどこか凛としていて美しい。和服と言うのは人を少し大人っぽく見せるのかもしれない。
リョーマが口元に笑みを浮かべるのと同時に、引き金にかかる人差し指が動いた。